韓国のハンギョレ新聞で徐京植の公開の和田春樹批判が掲載され、それに対して和田春樹が徐京植の書いた三分の二(三分の一は朴裕河に対する批判であったのでそのことには触れないということで)の量の文書で反論したことが報道されました。
日本では「慰安婦問題の日韓両政府の合意」に関してはマスコミも概ね賛同する論調が大部分ですが、韓国では当事者のハルモニをはじめ、その合意を批判する人が賛成する人とほぼ拮抗するとのことです。そのハルモニたちは朴裕河の著作の内容について彼女を名誉毀損で訴え、検察は起訴しました。一部の書き直しを条件で出版が認められましたが、それに対して学問への権力の介入ということで日本でも批判の声があがりました。
しかし日本でも朴裕河の著作の問題点を指摘する研究者も多く、その中でも徐京植の批判は、作者だけにとどまらず、両国の「和解」を説く彼女を日本社会で評価する人たちへの批判にまで及び、そこから敗戦後の日本社会の植民地支配を精算しきれず現在のファシズムへの傾斜になだれ込むような現状の危機を指摘しながら、日本人の国のあり方に対する責任を問うてきたこれまでの日本人批判の総決算として、和田春樹批判が韓国で掲載されたものと私は見ています。
そういう意味で徐京植の和田批判は決して和田個人への批判にとどまらず、日韓両国の関係において日本のリベラルな人たちの果たした役割はなんであったのかという、戦後日本を問い直すものであるように思えます。戦後直後から出されてきた丸山 眞男や大塚久雄のようなリベラリストの主体性論に植民地支配の問題が言及されていなかったという経過のなかで、彼らを批判する新左翼の登場、華青闘の糾弾、現在のヘイトスピーチとそれに対抗する「しばき隊」の動向などを踏まえた議論が必要であるとおもわれます。
FB読者の指摘を受けて
しかし私は徐・和田論争には今回は触れません。私がFBで徐京植のことを民族原理主義的と書いたことを在日の読者から、背景の具体的な説明なくそのような書き方をすると中傷になるのではないかという指摘を受け、これまでの私の徐京植に対して思っていたことを整理してみようと考えました。この拙論は未完です。
徐京植の『フクシマを歩いてーディアスポラの眼から』を読みました。国民国家を乗り越えるべきものと捉えること、在日であることへの固執(ここから自分をディアスポラとする視点が確立されていく)はほぼ私と同じです。私は彼の兄の徐勝と同い年ですが、在日としての生き方を模索してきたことから同じような方向でものを考えてきたのだと思います。
違いは何か、どうして私が彼を民族原理主義的であると感じていたのか、彼が花崎皋平や、上野千鶴子、和田春樹を徹底的に批判するのはどうしてなのか、そのことを整理する意味で、徐京植論その(1)を書いてみたいと思います。
(1)教養あるリベラリストとしての徐京植
彼は本来、小市民的で兄二人のような自分の命をかけて活動するタイプではなく(自分でそのように書いています)、加藤周一のような教養あるリベラリストを尊敬し、世界各地で「解放」を求め闘う人との連帯を求め、他者の声に耳を傾け、その苦しみに「共感」し、教師として学生の成長を見守ろうとする、一見、民族原理主義者からは程遠いリベラルな教養人のように見えます。
(2)国民であることの責任を問う徐京植
しかも彼は、日本人に対して(誰に対しても)、民族の一員であることをもってひとくくりにして国民性などと断定したり、同胞が犯した犯罪に同胞(国)全体が責任があるというような思考を戒めながら、国家に対する「国民」としての責任を重んじるのです。この点は厳密にわけて考えています。しかし、植民地支配をしてきた、また敗戦後の日本国家の政策を決めた政府を選んだのは日本国民であり、そのことに関しては「日本国籍者」としての日本人の責任がある、と考えるのです。
だから、フクシマ後の日本においてファシズム的傾向を強める為政者に対して、「いま日本国民は自国の権力と闘うべき時を迎えている」と発言します。もちろん彼はその中に韓国籍の在日である自分を含めることはしません。
そのような「国民であることの責任」を重んじる思考方式を彼は第一義的なものとします。だからその責任を曖昧にするような日本のリベラリストはたとえ良心的な働きをしてきた人であっても、許せないのです。そこから晩年の護憲運動以外これといった社会的な活動をしてこなかった加藤周一を尊敬しながら、花崎皋平、和田春樹、上野千鶴子という行動的で影響力のある人たちを徹底的に批判するという、一見矛盾する彼の立場性が見えてきます。
(3)徹底して韓国人であること、日本人であることの政治責任を求める徐京植
「国民としての責任」を重んじることで己を律し、己の行動のもっとも重要な基準(価値観)とするので、この本には書いていませんが、彼がベトナムに行ってそこのレストランの主人から自分が韓国人だというので殴られてもしかたがないというような発言がでてくるのでしょう。だから花崎や上野に対してあなたはどこに立っているのかという、相手の国民としてのidentityを問いつめます。日本社会の閉鎖性、歪みを韓国の韓国人以上に敏感に感じ取る感性をもつ在日として、日韓の「和解」ということで両国の問題点を曖昧にするような韓国人学者(朴裕河)は許してはならない存在であり、それに「結果として」同調し、彼女を持ち上げる上野千鶴子、和田春樹は日本「国」の責任の取り方を曖昧にする存在であるというので、厳しい批判をしたのだと思われます。
韓国で徐京植の本がよく読まれ、彼の和田春樹批判がハンギョレ新聞で大きく取り上げられる理由は、彼が韓国人の言いたくとも言えないことを、日本をよく知り、韓国(民族として)の課題・問題点を明確に説明し、問題提起してくれるからでしょう。日本(人)批判をあのようなかたちで、あそこまでやりきる韓国人研究者は韓国にはいません。
(4)和田春樹批判の背景は何か
徐京植が公開で徹底的に日本人を批判したのは、私の知る限り、花崎皋平、上野千鶴子、和田春樹です。私は花崎皋平を批判した徐京植のその批判の仕方を問題にしました。
徐京植の花崎批判を花崎の実績と人柄をよく知る日本人リベラリスト(ポスコロを研究するもっとも先鋭的な研究者たちでそのなかに、テッサ・モリスもいました)は皆当惑し、そのどちらを支持するのかを選ばなければならないような状態に追い込まれました。私はその中の数人から直接、そのときの重苦しさと異常さを聞いています。正確ではありませんが、10人のうち、8対2か、7対3くらいで徐京植を支持するひとが多かったようです。私の徐京植批判は、その批判の仕方はフェアーではないということです。相手の立場性を在日から問われ、あなたはどこに立っているのか、日本(国)の責任をどう考えているのかと詰問されて、在日の徐京植にまともに応えることができるはずもないのです。私自身もそのような「糾弾」をしてきましたから、そのやり方の問題点はよくわかります。
しかし今の日本社会でその批判が通用するのか、私には疑問です。今回の和田春樹批判は、朴裕河批判がきっかけですが(ハンギョレ新聞で掲載された文書の三分の一を占める)、私は徐京植に日本社会の変化(右傾化とファシズムへの傾斜)に対するもどかしさがあり、それを朝鮮問題に関する代表的な研究者で影響力の大きい)和田春樹にぶっつけたのではないかと思います。
ハンギョレ新聞での公開討論の影響は大きいでしょうが(朴裕河のハルモニたちへの名誉毀損問題がありますから)、日本では一部の研究者を除いては、徐京植の問題提起は通用せず(ヘイトスピーチに対抗する「しばき隊」に通用するとはとても思えません。彼らが徐京植の問題提起そのものを理解するのかどうかも疑問です)、またその一部の人たちの中でも分裂を生むだけで、例えば、朴裕河の著作内容をもって刑事事件として検察が起訴したことの不当性を同じ研究者として日本側が声を揃えることさえできなくなっていくでしょう。もちろん、分裂を生むのは徐京植の責任ではありません。問題を問題として指摘していくことは研究者としては当然のことです。しかし連帯して運動を進めるという観点からみれば、はたしてどうなのでしょうか。
(5)徐京植のダブルスタンダード
私は徐京植にはダブルスタンダードがあると見ます。加藤周一の教養とリベラルなヒューマニストとしての晩年の憲法擁護の運動を評価するのであれば、花崎皋平、上野千鶴子、和田春樹は、総合的にもっと評価されなければならない人物です。著書の中で徐京植が連れていった日本の学生が、韓国の徴兵拒否をした学生から、フェミニストの思想からそれが女性だけでなく男をも解放するものだと聞かされその発言に感動する場面が描かれていますが、そんなことは上野千鶴子にとっては常識であり、そのために彼女は闘ってきた第一級の功労者です。
花崎の「共生」を称える論調に私は与しませんが、それでも彼が学生の問題提起を受け北大の教授職を投げ出し、アイヌ問題、部落問題、在日の問題、フェミニズムの問題を真剣に考え、国際連帯運動においても大きな働きをしたことからすると、徐京植がよくそんなことを言えたなと思います。著作の中で彼の同僚の死に際して彼が見舞いにいこうとしたら、学校側が旅費を準備してくれたことを記し、組織というものはそのようにして個人を包摂するともっともらしく書き、日本人は会社の縛りから抜け出せないと書いていますが、結局、彼は学校側のお金をうけとったのでしょう。
そういうところが小市民的で、正直で憎めないところなのですが(すくなくとも本の中では自身に対する批判を知った上か、そのように自分を描いています。「私は真実のために進んで身をさらすタイプでない」「臆病者」「自分自身は安全地帯に身を置いていた」)、しかしそれにしては彼の上記3人に対する批判の仕方は、私には異常に見えます。一切妥協をゆるさないで批判・攻撃する一面と、自分を小市民的であるとしディアスポラを自称し抑圧の中で戦う人たちへの「共感」を訴えながら、自らは自分の住むところにおいても「国籍」を理由に決して闘おうとしない彼のあり方を私は「ダブルスタンダード」と言うのです。本当に自分の住むところ(日本、あるいは地域)をよくしようとするのであれば、どうして花崎、上野、和田に対して批判をしながらの共闘を訴えなかったのでしょうか。
(6)徐京植の日立闘争に対する認識に対して
日本の会社にものが言いたくても言えないというのであれば、日立闘争、地域活動(国籍条項撤廃)、「当然の法理」批判、反原発の活動を私たちと一緒にやってきた朴鐘碩に対する評価の低さ(言及さえしない)はどういうことでしょうか。朝日新聞でさえ、彼の退職にあたり会社の(組合を含め)ものを言えない体質に抗ってきた彼の生き方を大きく取り上げたのに、また韓国の民主化闘争において、特に青年たちの組織が「反日救国宣言」として、民族意識がない(民族的主体がない)という理由で日本の既製民族団体がこぞって批判した朴鐘碩の起こした日立闘争を高く評価し、雑誌『世界』の韓国の民主化闘争を紹介した15年もの間連載された韓国からの通信「T・K生」でも大きく触れられていたにもかかわらず、また、日立闘争の勝利判決がだされたときには、韓国の新聞が朴鐘碩の告白精神から学ぶべきだという社説をだしたにもかかわらず、どうして徐京植は岩波新書で、(日立のような差別)は今でもあると、切り捨てるかのような表現をしたのでしょうか?
日立闘争の勝利から、私たちは川崎の地で「民族差別とたたかう砦作り」として地域活動をはじめました。立命館大学で日韓の多くの研究者、活動家が集まったフォーラムでどういうわけか(上野千鶴子たちと一緒にだした『日本における多文化共生とは何かー在日の経験から』(新曜社)を読んだ徐勝のアシスタントが、共生を批判する実践的な私の活動に注目して最終パネラーに推したようですが、徐勝は私の書いたものを読んでいなかったのでしょう)、私が最後のパネリストとして日立闘争と地域活動を踏まえ、在日の自分の生きる足元に於ける戦いの重要性を強調した際、一番最初に挙手して、そんなものは日帝時代にもあった、いま在日にとって必要なことは、韓国人として韓国の民主化や統一、東北アジアの問題に取り組むことであると私を批判しました。
また徐京植のすぐ上の兄の韓国でのエピソードを耳にしていたこともあり、著作の中でも彼自身触れていますが、徐京植は兄二人から大きな影響を受けていると私は思っていました。私が徐兄弟が在日の立場から徹底して民族の課題に取り組むことに尊敬の念を持っていましたが、在日の住む地域の課題には関心を示さない人たちということで、民族原理主義的だと表現しました。
(7)在日の生活基盤がある日本において徐京植は何に責任を持つのか
上記のことは私の印象です。3人の徐兄弟の業績や人となりをまとめて批判したものではありません。私は3人のことはよく知りません。会って話せば共鳴することのほうがきっと多いと思いますし、私は一緒に出来ることは連帯するという考えを持っています。今回、徐京植の著作を読み彼の価値観がよくわかりました。
抑圧された人への「共感」を訴え、福島への関心を強く示しNHKでも放送された内容ですが、そこで彼は「根こぎ」という概念を示します。苦労して作り上げた生活の基盤がごっそり根ごととりさられることをいうのですが、そこに徐京植は福島の状況で生きる人たちと日帝支配下の朝鮮人との類似性を見ます。
李相和の詩を引用しながら(「奪われた野にも春は来るのか」)、本格化するであろう原子力ムラの反撃を予想して、「日本国民はいま、土地を奪い、春さえも奪おうとする自国の権力と戦うべき時を迎えた。日本国民は自国の権力から精神的な独立運動をはじめなければならないのだ。・・・そこから日本国民と朝鮮人との連帯の新しい局面が生まれるかもしれない。」と書いています。
しかし「根こぎ」を在日の立場でいうのであれば、自分の住む地域社会において在日がするべきことは何か、地域社会において国籍・民族を超えて共に担わなければならない地域の課題は何かを模索しなければなりません(そのことを提案した私は「クソ朝鮮人!日本から出て行け!!」と反撃を受け、3度にわたりグーグルを使えなくされました)。徐京植は日韓の政治的な課題における「国民の責任」を強調するのですが、そこには地域論は一切ありません。東京郊外のK市に住み、信州に別荘をもち自分の研究に没頭する教養人の立場から発言をする人物像しかそこからはうかびあがってきません。
彼の「共感」を強調する感受性の強い感性からすれば、人にはいろんな属性があることは理解しているはずです。ジェンダー、地域の住民、会社員、サークルもあるでしょう。その一つとして国民があるのですが、どういうわけか、かれは国民国家を乗り越えることを願い、多くの人が国民主義に包摂されることを批判しながら、自分の国籍のある国に対する責任が一番重要であり、彼にとっては生活の基盤は日本にあっても、日本の問題は日本人のものであり、排外主義的・植民地主義的な価値観が自分自身の中にもあるというところからは出発しないで、それらはすべて日本人の問題と割り切っているように私には見えます。人間性を判断するのに、その属性の一つである「国籍」をもって国家の動向を決定していく責任があるということから、その人の行動・発言に対して全人格的な批判ができるのでしょうか。
(8)ディアスポラを自称しながら国民の責任を問う徐京植をどう呼べばいいのか
私に忠告してくれたKさんは、私が徐京植たちのことを民族原理主義的であると書いたことをそれでは、相手を中傷することにしかならないのではないか、もっと適当な言葉はないのかと書かれたことに私の立場を説明するのにここまでかかりました。
徐京植は民族原理主義者でないとしたら、国籍(民族)優先論者というべきかもしれません。あるいは単に、民族主義者でいいのかもしれません。しかし世界では複数の国籍を認める国があることは彼もよく知っているはずで、そんなことを言われても自分はそうでないと言うでしょう。人にはいろんな顔があり、ひとつのレッテル貼りが正しいのか、そのレッテルがあっているのか、わかりません。そうであるならば、徐京植は花崎皋平、上野千鶴子、和田春樹に対して在日の立場から、朝鮮人の立場から、あのような、相手の立場性を問うような一方的な決めつけ方、問い方はできなかったはずです。ここまで来て、さて、Kさんは徐京植をどう呼べばいいと考えるのでしょうか。ご意見をいただければさいわいです。
(9)最後に
Kさん、最後にひとつ、重要なことを書き忘れていました。私は民族主義者が問題であるということを言いたいのではありません。在日であることに固執し、本名を名乗り、韓国に留学し韓国語を話すということでは、私もまた民族主義者です。私は徐京植を民族主義者というレッテル貼りをして批判し切り捨てるのではなく、在日朝鮮人として反原発の立場にたち、国民国家の止揚を願う立場から、実際に自分の生きている場において「国籍・民族を超えて協働して社会を変えていく」働きをしようと、徐京植に呼びかけているのです。私が接点を求めているということをご理解ください。