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東京で20年目の三一節記念式を開いた日韓市民団体

登録:2015-03-01 22:18 修正:2015-03-02 10:40
東アジアの平和連帯訴え
先月28日、韓国と日本の市民団体が、1996年から開いてきた三一節共同行事の間に日本人と在日同胞が一緒に作った「歌の会」の会員たちが「岩のように」など韓国民衆歌謡でイベントの雰囲気を盛り上げている。東京/キル・ユンヒョン特派員//ハンギョレ新聞社

 

 「兄さんもこんな歳になってしまったんだね。私たちが最初に会った時は40代だったのに」

 28日、日本の東京文京区のある居酒屋でハン・チュンモク韓国進歩連帯代表(58)は、渡辺健樹日韓民衆連帯全国ネットワーク共同代表(63)の顔を見ながら、親しげに声をかけた。渡辺代表がその言葉を受け、「もう髪の毛がこんなに抜けた」と今はまばらになった自分の頭を撫でる間、隣に座った北川広和月刊『日韓分析』編集員(61)は片言の韓国語で冗談を言った。

 韓国と日本の市民団体が、1996年から毎年休むことなく開いてきた三一節(3・1独立運動)共同行事が28日で20回目を迎えた。両国の市民団体の交流が始まったのは20年前のことだ。この日の行事に参加したイ・チャンボク6・15共同宣言実践南側委員会常任代表議長(元国会議員)は「当時(最大在野団体だった)全国連合(民主主義民族統一全国連合、現韓国進歩連帯)の常任議長として日本を訪問した。日韓関係が悪い時こそ、民間ではより頻繁に会って交流を行わなければならないと考え、日本の民衆勢力とともにシンポジウムを開催した。それがきっかけになり、現在までの交流を続けている」と述べた。

 当時、韓国では在野と市民団体を網羅する全国連合という団体があったが、日本にはそのような団体がなかった。韓国との交流の必要から、1970年代から在日同胞スパイ事件の救命運動に参加してきメンバーを中心に韓国の民主化と平和統一運動を支援する「日韓民衆連帯全国ネットワーク」を1999年春に発足させ、今日に至っている。彼らは毎年三一節には韓国から日本に、8・15光復節には日本から韓国に答訪する交流行事を、もう20年も続けている。長年の付き合いだからか、彼らはお互いを兄貴、弟と称し、この日の行事に姿を見せていない知人の近況を尋ねることもあった。

日本人と在日同胞が一緒に作った「歌の会」の会員たちが28日、公演している。 東京/キル・ユンヒョン特派員//ハンギョレ新聞社

 この日の交流会に先立ち、彼らは東京文京区民会館で三一節96周年記念行事を開いた。この日の行事の中心となったのは、解放70周年(日本では敗戦70周年)を迎え、安倍政権が推進する「集団的自衛権」など、日本を再び戦争できる国にしようという動きを両国市民がどのように阻止するかであった。渡辺代表はこの日、要請文で「(今年)3月1日は、日本の植民支配から朝鮮半島の人々が独立を求めて奮起した三一節運動の96周年だ。日本人には過去の歴史を直視し、いかに朝鮮半島とアジアの人々と平和的な関係を作っていくのかを再確認する日でもある」と指摘した。イ・チャンボク議長も同日の演説で韓米日軍事同盟を制御するための『東アジア市民平和連帯』の組織を再び訴えた。行事の間には、日本人と在日同胞が一緒に作った「歌の会」の会員たちが「岩のように」など韓国民衆歌謡を歌った。

東京/キル・ユンヒョン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: 2015.03.01 19:37

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/680229.html  訳H.J

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