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‘頑迷固陋 安倍’戦犯 母方の祖父がルーツ

登録:2013-04-24 21:41 修正:2013-04-25 06:52
‘日帝時 商工大臣’岸前総理の孫
1995年‘侵略謝罪’村山談話時は
反対議員会事務局長代理を務める

"わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。"

 1995年8月15日、村山富市 当時日本総理が終戦50年をむかえて発表したいわゆる‘村山談話’の核心内容だ。 安倍晋三(写真)日本総理はなぜこの談話を "そのまま継承することはできない" と言うのだろうか?

 安倍総理は22日の参議院予算委員会で「わが国がアジアの色々な国の人々に多くの損害と苦痛を抱かせたという認識については歴代内閣の立場と同じだ」と話した。 しかし彼は「植民地支配と侵略」については挙論しなかった。 彼は23日「侵略に対する定義は学界でも国際的にも定まっていない。 国家間の関係をどちら側から見るかにより違う」と話した。 日本の植民統治と戦争などを‘侵略’という否定的な意味には見ないということと解釈される。

 安倍総理のこのような考えは新しいものではない。 彼は村山談話が出てきた時、自民党の非主流強硬派である‘終戦50周年国会議員連盟’の事務局長代理であった。 この議員の会は日本国会が戦後50年決議案(‘歴史を教訓として、平和のための決議を新たにする’、1995年7月国会可決)を採択しようとすると、これに反対する議員らが1994年12月1日に結成したものだ。 "連合国占領体制下でとられた日本に対する断罪と自虐史観を直し、公正な事実に基づいた歴史の流れを解明し、日本および日本人の名誉と自負心を回復しなければならない" ということが結成の趣旨だ。 この集いは日本が起こした戦争を‘日本の自衛自尊とアジアの平和’を大切にしたことだったと主張して、村山談話発表に猛烈に反対した。

 1996年4月‘明るい日本・国会議員連盟’に名前を変えたこの集いは、6月に "従軍慰安婦はなかった。 強制連行はなかった" と主張して、慰安婦問題を叙述した教科書に対する批判と削除運動を本格化した。 その年の12月2日、右翼の‘新しい教科書を作る会’が発足して、安倍総理は自民党幹事長代理として積極支援した。

 侵略戦争を否認する安倍総理の考えは、彼の母方の祖父である岸信介前総理の考えに根を置いている。 日帝時期、東条英機内閣の商工大臣として戦時動員を指揮した岸は、敗戦後A級戦犯の疑いで3年間閉じ込められ冷戦が始まると解放されて政界に復帰した。 安倍総理が靖国神社参拝を正当化するのは、岸前総理などを‘戦犯’として断罪した歴史を否定するという意が含まれている。

東京/チョン・ナムグ特派員 jeje@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/584376.html 韓国語原文入力:2013/04/24 18:12
訳J.S(1278字)

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