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30年に及ぶ暴力の果てに夫に殺害された女性…複数回の通報は無力だった(1)

登録:2021-12-21 05:58 修正:2021-12-21 09:44
「逃げたらお前の家族は皆殺しだ」 
人質のように人生を送った妻 
勇気を出して離婚届を出したものの 
夫が農薬を持ってやって来て脅迫 
その日も、9日後に殺害された当日も 
警察が出動したのに死は防げず 
 
沈黙の中の恐怖が理解されない中 
数百人の女性が命落とす

 世界で最も安全であるべき空間で、一時は最も近しかった人に殺される。愛情をめぐる争い、嫉妬、不和といった言語で置き換えて無視し、その被害が可視化して初めて目を向ける。しかし被害者はもうこの世にいない。再び死は忘れ去られる。親密な関係における女性殺害はよくあることなので、むしろよく知らない。「ハンギョレ21」は2016年1月から2021年11月にかけて配偶者(前妻や事実婚関係を含む)が死に至った205の事件、交際相手に対する142件の殺人事件の判決文を分析した。死はそれぞれ異なるものの、妙に似てもいた。-編集者

2021年12月10日、ソウル市大方洞の女性プラザで、DV生存者の手作り公演『心のままに、ジャンプ!』のリハーサルが行われている=「ハンギョレ21」パク・スンファ記者//ハンギョレ新聞社

 いつもと変わらぬ水曜日だった。2021年4月28日、ソウルで職場に通うキム・スヒョンさん(26、仮名)は久しぶりに休暇を取って休んでいた。電話が一本かかってきた。釜山(プサン)で兄と暮らす母親のチェ・ウニョンさん(54、仮名)からだった。「スヒョン、ドアロックの暗証番号はどうやって変えるの?」

 受話器の向こうの母親の声は恐怖におののいていた。父親のキム・ジョンウ被告(54)が予告もなしに母親の家を訪ねてきたという。母は父に離婚を求めていた。父親は兄が出勤して留守の朝の時間帯を狙ったようだった。補助鍵をかけてあったおかげで、父親は家に入れなかった。朝8時51分、母親からの通報を受けて警察が出動した時、父親はすでに立ち去った後だった。玄関のドアの前には父親の置いていった卵だけが置かれていた。

住んでいる10階ではなく11階に隠れていた

 「被害はありません。通報して申し訳ありません」。母親は警察に謝罪した。警察は「ドアロックの暗証番号を変更し、また訪ねてきたら112(警察への通報番号)に通報してほしい」と言って帰っていった。しかしドアロックの暗証番号を変えるためには、玄関のドアを開けなければならない。スヒョンさんは母親をいったん安心させ、インターネットで検索した暗証番号の変更方法を丁寧に教えた。

 それが母親との最後の電話となった。7時間後の同日午後4時18分、母親は父親に無残に殺された。母親が住んでいるのはマンションの10階。その日の午後、また家を訪ねてきた父親は11階に隠れていて、モーテルの掃除の仕事をしに家を出た母親を襲ったのだ。

 2017年に殺人の被害者となった人の10人に3人は、夫や交際相手などの「親密な関係」の男性に殺害された女性であるとの調査結果が発表されている。「韓国女性の電話」がメディア報道を集計した結果だが、報道されていない事件も考慮すれば、その割合はさらに高まると推定される。部屋の戸とカーテンを閉めて行われる親密な関係における暴力は、単に偶発的で突発的に起こったやるせない事件に過ぎないのだろうか。妻の殺害という極端な暴力に至るまでには、脈絡と予兆があったのではないか。

 チェ・ウニョンさんの死は、妻殺害事件のある種の典型を示している。2021年11月11日と12月9日にソウルでスヒョンさんにインタビューするとともに、チェさんの2人の姉に電話インタビューを行った。

 チェさんが離婚を要求したのは2021年4月のことだ。30年間の結婚生活の末、ようやく勇気を出した。暴力の始まりは遥か昔。スヒョンさんは「幼稚園に通っている頃からいつもそうだった」と語り、スヒョンさんの伯母は「結婚して2~3年で人が変わった」と記憶をたどった。家の外ではいい人なのに、家に帰って来さえすれば暴君へと急変した。チェさんとスヒョンさん兄妹に暴言を浴びせたり、物を投げつけたりした。特に、酒を飲んで帰宅した日には凶器を持ち出し、「ガスのバルブを切る」と脅した。夜通しチェさんを性的に苦しめる日も多かった。チェさんができることといえば、台所にあるナイフを隠しておくか、子どもたちの手を取って家を出、夫が眠るまで当てもなく路地をさまようことだけだった。さまざまな職業を転々としていたキム被告の稼ぎは悪く、チェさんは手当たり次第に働いた。熱いクッパを頭に載せて出前をしたり、美容の仕事をしたりした。

「皆殺しにしてやる」離婚を切り出すのも困難

 暴力に理由はなかった。「望んでいる答えを返さない」というのが理由と言えば理由だった。「『お前、水飲むか?』と聞いたと仮定してみてください。自分が考えている答えは『飲む』なのに、もし『飲まない』あるいは『牛乳を飲む』と答えれば、そこで爆発する人でした」。スヒョンさんは高校2年生の時のことを思い起こした。テレビを見ていたら、キム被告がチャンネルを変えろと言ってきた。「コマーシャルが終わるまでは見る」と答えた。するとスヒョンさんの太ももにうつわが飛んできた。居間の隅に逃げると食卓の上にあったガラスの器が次々に飛んできた。スヒョンさんは足の甲に重傷を負い、靴が履けなくなった。乗務員の夢をあきらめた。

 かといって、チェさんが離婚を積極的に要求することもできなかった。「お前が俺の目の前から消えた瞬間、お前の家族を皆殺しにしてやる。お前の実家の姉さんたちを全員殺してやる」。キム被告の度重なる脅迫に、チェさんは「怖い」という言葉を姉たちによく口にしていた。そしていつもこう付け加えた。「あの人はやると言ったらやる。姉さん、気をつけて。気をつけて」

 スヒョンさんは、母親が10年、20年とそのように生きて来たため、「何もできない状態」になったのだろうと推測する。「つながっているのは自分ひとりではないじゃないですか。自分の姉、兄たち、甥たちの命まで握って脅しているのに、自分一人が生きようとして、その人たちの命をすべて渡して逃げることなんてできませんよね。母はただ『大変なのは私一人だけでいい。せめて家族は守ろう』と考えていたんです」

 2009年の年明け、チェさんは自ら命を絶とうとした。酒に酔ったキム被告が帰宅して嘔吐した手桶を、翌日になっても片付けていなかったと言って、それをチェさんに投げつけた後のことだった。「誰か一人は死ななければ終わらない」と考え、チェさんは先祖の眠る故郷の山で睡眠薬を飲んだ。意識を失っているところを郵便配達員に見つかり、ようやく一命をとりとめた。2009年は2カ月あまりドメスティックバイオレンス(DV)被害者のためのシェルターに身を隠した。しかし、キム被告がシェルターの場所を突き止めて訪ねてきた。キム被告は「二度とそのようなことはしない」とチェさんに懇願した。その言葉は信じられなかったが、信じようとした。貯金も、帰る場所もなかった。子どもたちはまだ10代だった。(続く)

コ・ハンソル「ハンギョレ21」記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/women/1023939.html韓国語原文入力:2021-12-20 04:59
訳D.K

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