登録 : 2015.04.07 22:06 修正 : 2015.04.08 07:27

 「パク・ジョンチョル事件」のパク大法院判事候補者
 意図的に不良な捜査をしたという証言
  隠蔽疑惑については知らぬフリを通す
 出世街道をひた走った検事たちの面々

パク・ジョンチョル氏は1987年1月、警察の捜査過程で水拷問により亡くなった ハンギョレ21//ハンギョレ新聞社

 パク・サンオク大法院(最高裁)判事候補者は1987年、「パク・ジョンチョル拷問致死事件」の1、2次捜査検事だった。 1987年1月、ソウル大生だったパク・ジョンチョル氏が警察の捜査過程で水拷問により死亡した直後に捜査に着手した1次捜査チームは、拷問警察官2人を起訴しただけで捜査を終えた。 しかし、同年5月に天主教正義具現司祭団が他に追加すべき犯人がいると明らかにすると、検察は2次捜査チームを設け、残りの拷問警察官3人を追加で起訴した。 当初の1次捜査は“不良捜査”であったわけだ。 真実・和解のための過去事整理委員会(真和委)はこのような不良捜査の原因について「検察が事件の真相を十分認知していながら外圧に屈して捜査権を適切に行使できなかった」と指摘した。

 パク・サンオク候補者は1次捜査当時に担当検事として追加犯人の存在を知りながら、隠ぺいしたことはなく「知らなかった」と主張する。しかし1次捜査で起訴された拷問警察官の法廷陳述とマスコミのインタビュー、真和委報告書、アン・サンス昌原市長(当時、捜査検事)の回顧録などの資料を調べれば、彼が1次捜査の段階で追加犯人がいる事実を認知していながら積極的捜査をしなかった可能性を示す根拠が明らかになる。民主化運動の象徴になったパク・ジョンチョル拷問致死事件を不良捜査した検事に、果たして大法院判事の資格があるかという論議は4月7日に開かれる国会人事聴聞会で結論が出る予定だ。

 2009年真和委は、パク・ジョンチョル拷問致死事件を1次捜査した検察が「事件の真相を十分に認知していたにもかかわらず職務を遺棄し捜査をまともに進行できなかった」として「憲法で独立性を保証されていながら権力層の圧力に屈して真実の歪曲を正せなかった点に対して謝る必要がある」と決定した。 しかし、表に見られるように事件当時の検察総長をはじめ1次捜査に関与して隠ぺい・捏造に責任がある検事らは、事件以後に安全企画部長、検察総長、憲法裁判所裁判官、国会議員などを歴任し出世街道を“常勝疾走”した。彼らは当時事件の隠ぺい・捏造疑惑に関してまだ一度も謝っていない。

 パク・テチュル セヌリ党報道官は、3月8日の国会ブリーフィングでこう話した。「当時、経歴17年の主任検事だったシン・チャンオン検事は与野党表決の結果、圧倒的な賛成で憲法裁判所裁判官に任命された。 経歴14年のカン・シンウク検事は何の問題も提起されず与野党表決を通じて大法院判事に任命された。 経歴8年のアン・サンス検事はスター検事になって以後、ハンナラ党の代表まで歴任した。 経歴2年を越えたばかりの末端検事だったパク・サンオク候補者の大法院判事任用を阻むのでは理屈が通らない」

 しかし、パク報道官の話には誤りがある。シン・チャンオン検事が憲法裁判所裁判官に任命されたのは1994年で、当時はまだ検察が当該事件を隠ぺい・捏造したという疑惑が起きる前の時期だ。 2009年真和委報告書が出てきた後に当時の検察も事件の隠ぺい・捏造に加担していたことが明らかになった。 また、大法院判事を務めたカン・シンウク検事は3次捜査に合流した検事で、隠ぺい・捏造疑惑が提起された1~2次捜査には関与していない。 アン・サンス昌原市長も2009年に真和委報告書が出てくるまでは“意志が強い検事”として知られていたが、事件の真実が明らかになった後にはパク・ジョンチョル記念事業会から批判された。“不良捜査”の罪人は全員が出世した。 そして今、当時の末端検事までが大法院判事になるなら、子孫はこの歴史を通じて果たして何を学ぶことになるだろうか。

その時のパク・サンオクと検事らは//ハンギョレ新聞社

ソンチェ・ギョンファ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-04-07 10:35
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/685792.html 訳J.S(1819字)

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