「政治権力と資本権力の不道徳な密着」
「サムスン贈賄事件」の1審裁判所は事件の本質をこのように圧縮した。サムスンは韓国社会で永らく資本権力の象徴のように君臨してきた。資本権力が過度に肥大化した結果、社会の正常な牽制から抜け出して民主共和国のアイデンティティまで傷つけることを憂慮する、いわゆる“サムスン共和国”論議を引き起こした。論議の火に本格的に油を注いだのは、サムスンの不法大統領選資金提供と検事らに対するわいろ提供が露見した2005年のサムスンXファイル事件だ。資本権力が莫大な金力と情報力を基に、国家権力に匹敵する影響力を行使することに対する憂慮は、唯一韓国だけのことではない。米国の言語学者ノーム・チョムスキーは「企業が民衆の干渉と公共の監視から抜け出して、世界秩序を支配する力を拡大している」と警告した。だが、サムスンのような一介の企業が、立法・行政・司法・言論・学界など社会の全分野にわたって恐るべき影響力を行使している事例は多くない。
朴槿恵(パク・クネ)-チェ・スンシル国政壟断事件も、サムスン共和国の延長線として見ることができる。サムスン物産の合併が市場原理に反するにもかかわらず、ほとんどすべての証券会社が賛成報告書を出した。国民年金は国民の老後資金に数千億ウォン(数百億円)の損失が出るにもかかわらず賛成票を投じた。事実上、サムスンの“ラッパ吹き”の役割を自認したマスコミも見逃せない。さらに“経済検察”と呼ばれる公正取引委員会さえも無力化された。果たしてサムスン以外の財閥ならば、こうしたことは可能だっただろうか?
サムスン共和国の実体は、いわゆる「チャン・チュンギ携帯メール」に生々しく見ることができる。チャン・チュンギ前社長は、サムスンで情報および対官業務を総括してきた人物だ。報道機関の幹部は、彼に広告請託はもちろん、自身の社外重役のポストや子どもの就職を依頼した。社会批判というマスコミ本来の機能を忘れて、記事で報恩(?)するという恥ずかしい忠誠を誓った。大統領府と国家情報院の高位要人は、あらゆる情報を報告するように譲り渡した。その中には、インサイダー情報と言える機密事項まで入っている。2007年にサムスン秘密資金疑惑を暴露したキム・ヨンチョル元サムスン法務チーム長が「大統領府の会議が終われば、直ちにサムスンにその内容が報告される」と話したことは事実だった。判事と検事は気兼ねなく自身の人事の請託をした。政府の人事をサムスンが思うままにしているという世間の話は誇張ではなかったことを見せる情況だ。
イム・チェジン元検察総長は、サムスンで仕事をする婿の人事を依頼した。彼は「子供のことなので仕方なかった」と頭を下げた。だが、国民は彼が現職にいる時、サムスンのためにしたことを憂慮している。2008年、サムスン秘密資金疑惑事件のチョ・ジュヌン特別検察官は、イ・ゴンヒ会長の容疑のうち相当数に免罪符を与えた。また、会社に数千億ウォンの損害を及ぼし、数千億ウォンの脱税をしたのに懲役7年だけを求刑した。彼は特典疑惑を強く否定したが、しばらくして息子がサムスン電子に特別採用された事実が明らかになった。経済改革連帯のイ・サンフン弁護士は「サムスンのように長期間にわたり組織的で常時的に管理する政経癒着の場合、請託とわいろを直接的に結びつけることは容易でない」と話した。サムスンわいろ事件の1審裁判所が、わいろ供与、横領などの容疑を全部認めても、イ・ジェヨン副会長には懲役5年しか宣告しなかったことをめぐり、批判と不信の声が絶えない背景だ。
サムスンわいろ事件の有罪判決で、サムスン共和国はもう終わったのだろうか? サムスン共和国が幕を下ろすには、サムスンが先に変化の努力を見せなければならない。だが、イ副会長らは誤りを認めず、直ちに控訴した。「チャン・チュンギ携帯メール」関連者も沈黙を通している。文在寅(ムン・ジェイン)政府も今のところ真相把握に積極的に乗り出す兆しを見せていない。ソウル弁護士協会の元人権委員長であるオ・ヨンジュン弁護士は「民間人は別にしても、少なくとも機密を漏洩し人事の請託をした公職者、裁判官、検事らに対する徹底した調査と責任追及が必要だ」として「資本権力が公権力を私有化し、国家全体を腐敗させることを根絶しない限り、文在寅政府が強調する積弊清算もはるかに遠い」と話した。