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首都圏から地方へ、韓国で人口移動逆転

登録:2015-03-03 21:45 修正:2015-03-04 11:38
「国家統計ポータル」人口移動統計分析

世宗・革新都市に政府機関の移転後
2013〜14年2万5千人の地方へ流入
忠清・済州・江原道増え、嶺湖南は反対
「若年層→首都圏」「老年層→地方」相変わらず

2012~2014年首都圏から地方に人口移動。//ハンギョレ新聞社

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権以降、世宗市と革新都市など地域間の均衡発展政策が本格化するにつれ、地方から首都圏へ純流入していた人口が逆に首都圏から地方へ純流出され始めたことが分かった。当初、この政策を始めた盧武鉉政権は2012年から2030年まで首都圏から地方へ170万人の人口を移住させるという計画を立てていた。

 3日、ハンギョレが「国家統計ポータル」の人口移動統計を分析した結果、世宗(セジョン)市と10の革新都市に政府機関と傘下機関が移転した2012年から2014年までの3年間、首都圏から地方へ合計1万8595人が純移動したことが明らかになった。純移動とは流入人口から流出人口を引いたものだ。年度別では、2012年までには地方から首都圏に6900人が純流出したが、2013年には4384人、2014年には2万1111人が首都圏から地方へ純流入した。

 首都圏から地方への人口移動の規模はまだ2万人にも満たないが、注目すべきなのはその推移だ。 2012〜2014年以前には、40年もの間、地方から首都圏へのみ人口が純移動した。 2009〜2011年には6万6563人、2006〜2008年には24万6660人、2003〜2005年には40万6049人、2000〜2002年には49万5958人が地方から首都圏へ純流出した。

 地域別では、過去3年間、忠清圏への純流入が最も多く、6万463人の首都圏の人口が移り住んだ。忠清南道が2万4898人、世宗市が2万1979人、忠清北道が1万4379人だった。大田(テジョン)からは793人が首都圏へ純流出した。カン・ヒョンス忠南発展研究院長は「忠清への人口移動は、世宗市建設や帰農帰村、忠南北部の工業団地が大きい理由になっていると思われる」と解釈した。当初忠清圏が2030年までに首都圏から流入すべき目標人口は65万人だ。

 忠清圏に次いでもっとも多くの首都圏の人口が流入した地域は、済州道と江原道だった。済州は3年間で1万7100人もの首都圏の人口を呼び込み、忠南、世宗市の次に多かった。クォン・ヨンウ誠信女子大学名誉教授は「(国民所得)3万ドル時代を控えて生活の質を求める人々にとって済州島が最も魅力的なようだ」と解釈した。帰農帰村が活発な江原道も3年間で9426人が首都圏から純移動した。

 しかし、嶺南圏(慶尚道地域)と湖南圏(全羅道地域)は依然として首都圏へ人口純流出が行われた。嶺南圏は3年間で5つのすべての広域市・道から首都圏へ人口が純移動し、その規模が5万8794人に達した。嶺南圏から人口流出が続くのは主力製造業が停滞しているためと分析される。当初均衡発展政策による嶺南圏の首都圏人口流入目標は、2030年までに72万人だった。

 湖南圏も2012年以降も9610人が首都圏に移り住んだ。ただし首都圏への純流出規模が2012年の5853人から2013年に3079人、2014年には678人に減っている。光州(クァンジュ)からの人口純流出が8596人で、ほとんどを占めており、全羅北道は1700人だった。全羅南道は686人が首都圏から純移動し、海均衡発展の効果が見られた。当初湖南圏の首都圏人口流入目標は2030年までに34万人だった。

 クォン・ヨンウ名誉教授は「世宗市と革新都市の建設が初期段階なので、まだ効果が小さい方だ。基盤施設が装備されたら、移転機関の人員がほとんど移住し、追加の人口移動が起こる可能性がある」と述べた。カン・ヒョンス院長は「若年層はまだ首都圏に、ベビーブーム世代は地方に移動する世代別による差異が現れる。中高年や高齢者層の地方移動が続きそうだ」と述べた。チョ・ミョンレ檀国大学教授は「全国のメガシティに変わる流れにある。忠清と済州、江原への首都圏人口の流入は均衡発展というより首都圏の拡張という側面が強い」と解釈した。

世宗/キム・ギュウォン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力: 2015.03.03 20:25

https://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/680650.html  訳H.J

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