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脱北 苦難を経て育てた夢 コンビニ開き粉々に

登録:2013-04-16 00:03 修正:2013-04-16 10:04
脱北し6年ぶりに韓国に来たセトミン

"月300万ウォン稼げると言ったのに…"
工業団地で働いて貯めたお金で
1年半後に残ったものは6500万ウォンの借金だけ
耐えられずに結局 廃業要請

コンビニエンスストア本社との不公正な契約による圧迫の末に命を絶ったコンビニ店主イム・ヨンミン(仮名)氏を追慕する記者会見が3月18日午後ソウル鍾路区(チョンノグ)積善洞(チョクソンドン)のコンビニ前で開かれた中で、参席者が持った菊の花の後に看板が見えている。 参席者たちは不公正行為改善に政府が直ちに乗り出すことを促した。 パク・ジョンシク記者 anaki@hani.co.kr

 脱北者イ・ミオク(仮名・44)氏の声は細かく震えていた。 "全くの強盗ども…" という話には怒りを越えてあきらめが感じられた。 イ氏は現在コンビニ店主だ。

 2011年9月30日京畿道(キョンギド)安山市(アンサンシ)本五洞(ポノドン)に99㎡(30坪)のファミリーマート(現在CU)コンビニを開いた。 純福音教会で作った非政府機構グッドピープル(総裁 チョ・ヨンギ牧師)が運営する自由市民大学が創業教育を経て2000万ウォンの無利子貸出をしてくれた。 定着を支援するという趣旨であった。 イ氏は貯蓄1500万ウォンに追加銀行借入 1500万ウォンを加え、5000万ウォン余りを普光ファミリーマート(現 BGFリテール)本社に払った。

 1年6ヶ月が過ぎた今、イ氏の手に残ったのは6500万ウォンの借金だけだ。 売上は減っても人件費はかかりつづけた。 昨年5月に閉店しようとしたが、違約金のためにできなかった。 「その時、違約金6000万ウォンがどこにあるでしょうか? 本末転倒じゃないの。」イ氏は命を賭けて越えてきた‘暖かい南側の国’で酷寒の戦争をしている。

 イ氏は1998年11月、豆満江(トゥマンガン)を渡った。 生後100日を迎えたばかりの娘を背負って、中国を行き来して行商している従姉について行った。 6年間中国で仕事をしてようやくベトナムを経て2004年7月に娘と共に韓国に入ってきた。 安山市(アンサンシ)の永久賃貸アパートに居を定めて、中国同胞の夫キム・ムニョン(仮名・50)氏にも会った。 イ氏は半月工業団地で、夫は工事現場で働いた。 二人で月額300万ウォンを稼ぎ、毎月100万ウォンずつきちんと貯金した。 娘のために国民賃貸アパートに引越しするのが夢だった。

 コンビニに視線を転じたのはイ氏の健康のためだった。 2007年に椎間板ヘルニアの手術を受けて工場を辞めたうえに、2009年に再び始めた経理の仕事も2011年に甲状腺癌手術で辞めなければならなかった。 甲状腺機能低下症で脚と目に襲ってくるマヒのためにイ氏は‘顔色を伺わずに働ける所’が必要だった。 ファミリーマート本社の開発担当者は「一日の売上が80万ウォン後半台の店」を見せた。「ここに(ファミリーマート)ブランドを付ければ40~50%は売上が増える」と言った。 ロイヤリティーの35%と月額賃貸料130万ウォン、人件費などを引いても月300万ウォン余りは稼げるという‘コリアンドリーム’だった。

 夢が砕け散るのはわずかの間だった。 人件費を節約するため昼間だけアルバイト生1人を使い、夕方6時から明け方2時まではイ氏が、明け方2時から午前10時までは夫のキム氏が店を守った。 初めの月に賃貸料とロイヤリティーを控除して残ったお金は180万ウォンだった。 ここからアルバイト生の月給40万ウォンを払った。 弱り目にたたり目で、開店1年も経たずに近所に個人コンビニができた。

 イ氏は耐えられなくなり、今月7日再び本社に閉店を要請した。 今度は‘営業利益損失金’、‘インテリア残存価値’等意味が分からない項目を全部合わせて3160万ウォンを違約金として要求してきた。 ‘砕け散ったコリアンドリームの代価’であった。 イ氏は現在、公正取引調整院に調整申請を準備中だ。

イ・ユジン記者 yjlee@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/582953.html 韓国語原文入力:2013/04/15 22:19
訳J.S(1613字)

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