「コリアの日」。表彰台に立った3人の表情は明るかった。
動きが極度に制限された卓球クラス1(車いす)。卓球ラケットを握るのも難しく、手に包帯で固定されていた。主に頚椎損傷を受けているため車椅子を固定させて打つ場合もある。汗の分泌もない限界状況。しかし、ボールにスピンを入れ、左右を突く彼らの姿に障害はなかった。
パラリンピック卓球韓国代表チームのチュ・ヨンデ(48・慶南障害者体育会・世界ランキング1位)が30日、東京体育館で行われた東京2020パラリンピック男子卓球シングルス(TT1)決勝で、キム・ヒョヌク(26、蔚山障害者体育会、世界ランキング5位)をセットスコア3-1(11:8 / 13:11 / 2:11 / 12:10)で下し、優勝した。今大会、韓国選手団初の金メダルを獲得したチュ・ヨンデは、後輩のキム・ヒョヌクと太極旗を広げ、喜びを満喫した。
銅メダルを獲得したナム・ギウォン(55・世界ランキング3位)を含め、「卓球3人組」は表彰台に並んで立ち、東京パラリンピックサイトの解説者は「非障害者卓球の中国のようだ」と評価した。
クラス1の卓球は、今回のパラリンピックのクラス1~11の中で、最も障害の重い選手が競争する。大韓障害者卓球協会のホ・ミスク事務局長は「手でミネラルウォーターのキャップを開けるのも大変だ。汗の排出もできないため、エアコンが欠かせない」と述べた。
チュ・ヨンデ、キム・ヒョヌク、ナム・ギウォンが世界トップ5に入るほど、韓国はこの種目で最強を誇る。冬季五輪のショートトラックや夏季五輪のアーチェリーのように、国内の代表選考会で選ばれるのが五輪よりさらに難しいという。
同日の試合でも身長180センチメートルを超える2人はほぼ同じ位置に座って長い腕を最大に活用し、レベルの高いプレーを披露した。スピンのかかったボールで迫るチュ・ヨンデに対し、キム・ヒョヌクはフォーハンドスマッシュで応戦するなど、二人は火花を散らした。2016リオ五輪で銀メダルを取ったチュ・ヨンデの老練なプレーに、キム・ヒョヌクは卓球韓国代表チームで最も若い選手らしく、力で対抗した。
しかし、チュ・ヨンデの貫禄がキム・ヒョヌクのガッツを抑えた。チュ・ヨンデは第1セットの勝利に続き、第2セットの逆転劇(13:11)で勢いに乗り、第3セットは奪われたものの、第4セットの接戦を2点差で制し、金メダルを手に入れた。
スポーツが好きで、体育教師を夢見て慶尚大学体育教育学科に入学したチュ・ヨンデは1994年夏、交通事故で絶望に陥った。その後4年間、家の外に出ることもなかなかできなかったという。しかし、ウェブデザイナーとして新しい人生を踏み出し、2008年障害者福祉館でリハビリで卓球を始め、2014年仁川(インチョン)アジアパラ競技大会で韓国代表に選ばれた。慶南障害者協会事務局長など障害者スポーツ行政家として活動した彼は、ついにパラリンピックで2回連続メダルを獲得した。
銀メダルを獲得したキム・ヒョヌクも、2011年に落傷事故が起きた後、卓球を始めた。フォーハンドドライブが得意な彼は、速いスピードで成長し、2018年世界卓球選手権で金メダルを獲得し、初のパラリンピック挑戦舞台で予選、2回戦、3回戦で1セットも負けない完璧な競技力を見せつけた。最後の関門で先輩のチュ・ヨンデに惜しくも敗れたが、これからだ。ナム・ギウォンまで韓国代表チームが金、銀、銅を総なめしたのも今回が初めてだ。
卓球クラス1は1972年、ハイデルベルク・パラリンピックで初の金メダル(ソン・シンナム)を獲得して以来、韓国障害者卓球の代表種目として知られてきた。今回の金メダルは、イ・ヘゴンの2000年シドニー・パラリンピックでの金メダル以降、21年ぶりのシングルス金メダルだ。リオ大会で銀メダル(チュ・ヨンデ)、銅メダル(ナム・ギウォン)を獲得し、今回1995年生まれのエース、キム・ヒョヌクが加わってさらに強くなった。
ホ・ミスク事務局長は「国内選手があまりにも強い種目なので、ボールをネット近くに落とす『テトラ』技術などは世界標準になった。ボールを取るのも難しい選手たちがすごいことをやり遂げた」と喜びを表した。