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[インタビュー]「お金と効率性への追従から脱しなければ『尊厳ある死』は不可能」

登録:2019-10-15 05:39 修正:2019-10-16 03:51
療養病院医師、詩人ノ・テメンさん

病院の院長室で会った「詩人ノ・テメン」さん。多くの人々が望むのは苦痛のない死ではないかと言うと、次のような答えが返ってきた。「(療養病院の患者たちにとって)死の瞬間はそれほど苦しくはありません。歳を取れば深く考えることも大変です。思考がぼんやりしてくる。ほとんどの人は亡くなる時、すっと逝きます」。療養病院には葬儀場もある。著書の一部から。「私が主治医を務めて亡くなった方々の葬式に行って、きれいな顔の遺影を見ると、この人が私の知っているあの人なのかと疑ってしまうことが多い。顔が違いすぎる人、とてもきれいな人が写真の中にいるからだ」

病院の院長室で会った療養病院医師であり詩人のノ・テメンさん=カン・ソンマン先任記者//ハンギョレ新聞社

 詩人のノ・テメンさんは医師だ。2006年から慶尚北道星州(ソンジュ)のある老人療養病院で働いている。「13年間で死亡診断書を700枚くらい書きました。それだけの死を見守ってきました。3分の1ほどは家族に見守られない死でした」。ノさんは最近出したエッセイ集『グッバイ、まるで今日が最後のように』(ハンティジェ)の中で、「死は理解も完成もできない」と書いている。

 11日、病院で会ったノさんに「13年が過ぎて、死に対する考え方が変わったか」と聞くと、首を振ってこう語った。「今は道の途中でお年寄りを見ると、親切にしなければならないと思います。まだあります。幽霊が現れても驚かないと思います」。新刊には療養病院で経験したり感じたりした話を書いた。病院で出会う寂しい老いや死について、繰り返しもどかしい視線を送る。「ああいう風に亡くなってしまうのが正しいのか、そんな思いです。客が家に来た時も、家の前まで出て気をつけてと言ってバイバイするじゃないですか。誰かが同じ人間として、死を迎える人に、お気をつけてと言って見送ってあげるべきなんじゃないでしょうか。韓国社会が見送ってあげるべきでしょう」。ノさんは病院の雇われ院長だ。患者は180人あまり。20%が認知症患者だ。職員は医者5人を含めて70人近くになる。

ノ・テメンさんが最近出版したエッセイ集の表紙//ハンギョレ新聞社

 「療養病院は、韓国社会の死と老いに対する態度が構造化された所です」。社会が死に対して以前よりも多くの恐怖を抱くようになっているとノさんは考える。「死を隠します。死について考えないようにしています。だから死がより恐ろしくなっている。昔は家のすぐ後ろにお墓があったでしょう」。なぜそうなったのだろう? 「死は金にならないからですよ。死は美しくないでしょう。邪魔者扱いばかりして。社会は金を惜しみ、効率的なことばかり追求するじゃないですか」。

 100年後、歴史家たちは今の療養病院に「野蛮」という言葉を当てるだろうともいう。「18、19世紀に病院が初めてできた時は収容が基本目的でした。当時の病院の環境は今の基準で見れば野蛮でした。(今は)当時よりは発展していますが、よりよくなるべきです」。そして「個人の尊厳」を語る。「療養病院の患者同士には関係がありません。おしゃべりも親しい間柄ではするじゃないですか。一日中じっとしていたり、天井を見ていたり、横になっていたり。体がつらい人たちなので隣を見回す余裕がないんです。少しづつ利己的になり、よく喧嘩もするようになります」。そしてフランスの哲学者フーコーの言葉を引用する。「かつては数人の逆賊の首をはねて殺し、他の人たちは生きるままに放っておいたが、今は何人かだけ生きられるようにして、残りは死ぬにまかせて放っておくとフーコーが書いています。今のここのことを言っているような気がします」。

 それではどうすればいいのかと聞くと、彼は「分からない」と言って、こんなことを言った。「妻に、年を取ったら友達と一緒に暮らそうと言っています。一緒に寂しくないように生きようって」。老人たちがリビングのある自宅や各自の個室が備わった同じ年齢層の共同住宅で暮らし、国家の医療サービス支援を受けるケア体系が理想だが、それが韓国社会で可能であるとは思えないという。「金と効率性ばかりを考えているからです」。

2006年から星州の老人療養病院院長
「13年間で死亡診断書700枚書いた」
老いと死見守ったエッセイ集出版
『グッバイ、まるで今日が最後のように』
人医協労働人権委員長、「ニュース・ミン」代表

「歴史上の死者たちを呼び戻す」

 ノさんは1981年に嶺南大学医学部に入学、1995年に卒業した。この間に啓明大学哲学科に入り3年まで通った。「医学部に2年通ったんですが、卒業定員制に引っかかって除籍になってしまいました。後に救済されて復学しました」。1990年に『文芸中央』の詩部門の新人賞で文壇デビュー、これまでに3冊の詩集を出した。2005年には慶北大学哲学科大学院に入って修士を取得し、今は博士課程に在籍。「周りからは何をそんなに欲張っているのかとよく言われます。欲張っているわけじゃなくて、生きるとは何かということが知りたくて勉強しているんです。私たちの人生、こうなってはいけないな、歳をとってそう思うようになりました」。

 ノさんは現在、大邱・慶尚北道人道主義実践医師協議会(以下「大邱人医協」)の労働人権委員長を務めている。代表も務めた。「我々の病院の医師5人中4人が大邱人医協の代表をしました。最近ひと月以上続く金泉(キムチョン)の有料道路料金徴収所の労働者の立てこもり現場には4回行きました。診療して薬をあげて。5年前に被解雇労働者のチャ・グァンホさんが倭館(ウェグァン)のスターケミカル工場で高所座りこみをした時は、48メートルの煙突の上に10回上りました。体の調子を見ようと思って」。ノさんは大邱・慶北地域の代表的な革新メディア「ニュース・ミン」の代表でもある。「後援会長程度の役割です。大した助けもできず、4人の記者には本当に申し訳なく思います」。

 彼は自らをマルクス主義者だと考えている。「高校を卒業する頃、エーリヒ・フロムの本を何冊か読みました。その時はじめてマルクスに出会いました。今も労働者の中心性についていろいろ考えています。私の基本的な問題意識は、いかにしたら皆が共に幸せな人生を送りつつ自分も自由になれるかということです。私が修士論文を書いたフランスの思想家エティエンヌ・バリバール(1942~)は、自由と平等は共に歩まねばならないと言っています」。

 あちこち曲がっているお婆さんを見るたびにとても憂鬱になるという彼に、病院を移るつもりはないのか尋ねると、首を横に振った。「どこへ行っても大変ですよ」。そして「私のテーマはもともと死だったんです。12歳の時、母親が死にました。高校に通っている時は宗教に傾倒して神父になろうと思っていました。当時はイエスの死についていろいろ考えました。私が考える良い詩の基準も死を下敷きにしているかどうかです。運動も自分の人生すべてを投げ打たなければなりません」。

 来年出版予定の4冊目の詩集のタイトルも『水、火、土、空気 4元素のレクイエム』だそうだ。「死についての問題を私たちの歴史と結びつけようと思っているんです。歴史上、多くの人が死んで行きました。誰かが彼らを呼び戻してやることが必要なのではないかと思います」

カン・ソンマン先任記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/913185.html韓国語原文入力: 2019-10-14 20:39
訳D.K

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