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[書評]日本の退行の責任は、日本のリベラルにある

登録:2017-08-31 22:52 修正:2017-09-03 07:38
『再び、日本を考える―退行する反動期の思想的風景』 
徐京植著、ハン・スンドン訳/木の鉛筆刊・1万6000ウォン
『再び、日本を考える―退行する反動期の思想的風景』徐京植著、ハン・スンドン訳/木の鉛筆刊行//ハンギョレ新聞社

 「和田先生の方向設定は間違ったのではないか、というのが私の論点である。このような問題提起に対して、『彼は善良な人だ』というような反撃は論点から外れたもので(…)悪意的なすり替えとしか言えない」

 東京経済大学の徐京植(ソ・ギョンシク)教授は、韓国と日本の両社会でいずれも「他者」だ。彼は韓国では在日同胞という国外者として、日本では在日朝鮮人というマイノリティとして生きてきた。韓国では2人の兄がスパイ団捏造事件で残酷な苦境を経て、日本では差別と排斥を受けた。彼の家族史は二つの社会の主流とマジョリティが見ることができない、いや、見ようとしない不都合な真実を対面させる。彼が経験した辛酸の人生は、前作の『私の西洋美術巡礼』で見せた豊かな人文学的、文学的、歴史的素養と昇華された。

 だが、彼は『再び、日本を考える』で刀を抜いた。韓日関係と日本の歴史問題で、日本の良心を代弁するという和田春樹東京大学名誉教授に対する彼の直接的批判が代表的だ。彼がこの本で触れる不都合な真実の対象は、日本の進歩陣営だ。彼は安倍晋三政権に象徴される最近の日本の退行と反動の責任を、われわれには進歩陣営と認識される“リベラル派”に問うている。

 彼によると、日本社会は1990年代以降、長い「反動の時代」に入った。1990年代半ばまでの「社会党・総評(日本労働組合総評議会)」系グループ、新聞を例にとるならば「朝日新聞」「毎日新聞」「東京新聞」とその読者層で構成された日本のリベラル派は、日本内外の潮流で崩壊した。社会主義圏崩壊と東西対立構図の終焉、新自由主義の到来の前に投降したのだ。韓国などアジア諸国では権威主義体制が動揺し、民主化が進んだ結果、「慰安婦」問題など日本の封印された戦争犯罪問題が表面に浮上した。だが、当事国日本はこのベクトルが逆方向に向かった。

 進歩勢力を結集する代案を提示する代わりに、「脱イデオロギー時代」という浅薄なスローガンと共に自ら自己崩壊の道を選んだ。進歩的立場を代弁する社会党は、保守右派の自民党との連立を受け入れた、結局消滅へと進んだ。国家主義に抵抗して日章旗日の丸と国歌君が代斉唱を拒否した教員労組は、これを容認した。

 徐京植は慰安婦問題を帝国運営の付随的被害と主張する「朴裕河(パク・ユハ)現象」を取り上げてこれを説明する。「朴裕河の言説が日本のリベラル派の隠れた欲求に正確に合致するからだ(…)右派と一線を画すリベラル派の多数は、理性的な民主主義者を自任する名誉感情と旧宗主国の国民としての国民的な特権をみな逃したくないのだ」

 韓国の立場で彼のこのような批判は、慰安婦問題に対する和田教授の現実主義的旋回を見れば理解できる。和田教授は2015年12月28日の韓日慰安婦問題合意を白紙撤回するようにするのは「事の経過から見ると難しい」と話す。新たな解決案を出させる力が日本国内にはないため、その韓日合意が改造・改善の道へ行くしかないと見ている。

 本書は、徐教授が最近書いた日本についての文章を選んでまとめたものだ。慰安婦問題をめぐり和田教授に送る手紙形式の二編の文、彼がマイノリティとして日本社会を見つめる愛国主義、改憲、安保法制問題などを解剖する。

 彼にとって日本のリベラル派は、両国とその関係の未来のために見捨てたり売り渡すことのできない、いや、最後まで共にしなければならない勢力だ。だから、徐京植が不都合な真実を覆してみせたのは決して害を与えようとするものではない。

チョン・ウィギル先任記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/809170.html 韓国語原文入力:2017-08-31 19:59
訳M.C(1710字)

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