アルファ碁は冷静だった。アルファ碁は勝利する確率が高いという計算が出てくると、取れそうな石も取らなかった。アルファ碁にとって大切なのは大きく勝つことではない。半目勝ちでも、勝てばそれで良いのだ。もちろん、プロの世界で勝負へのこだわりは評価されるべきかもしれない。しかし、対局が行われる度に、李世ドル(<イセドル>ドルは石の下に乙)九段が言っていた「囲碁のロマン」がなくなるのではないかという懸念の声もあがっている。
プロ碁士たちの語る囲碁のロマンとは何だろうか。キム・ヨンサム九段は「機械的な計算で、勝つためだけに没頭するのではなく、たとえ負けることがあっても、自分の実力と創造性を最大限に発揮してから、きれいに承服することが囲碁の美しさの一つだ」と語った。
プロ碁士の対局では、予選、本選、決選に関係なく、黒と白が入れ込みながら生まれた大石が、生きるか死ぬかによって勝負が分かれる場合が多い。囲碁ファンが緊張の糸を切らず、4時間ほど続く長時間の対局を見守るのも、そのためだ。アルファ碁と李九段の対決では、このような百尺竿頭の戦いがなかった。キム九段は「第2局で70手しか打たなかったのに、アルファ碁が勝負を固め始めた。すでに勝ったという意味だ。プロ碁士にはあまり見られないことだから、最初は新鮮だったが、アルファ碁が囲碁をまるでブロック崩しのようなビデオゲームとして認識しているのではないかと思うと、残念だった」と話した。
キム・ソンリョン九段は、アルファ碁との対局から、見る者たちが囲碁の本当の「粋」を見いだせなかった点が惜しいと話した。彼は「囲碁は終わると、復碁を行う。プロの碁士は、自分がなぜ負けたかがわからないと、耐えられないものだ。復碁をしながら、相手の見事な手を認め、自分のミスを反芻する。その過程に人間味が見え隠れするのだが、それは囲碁の醍醐味の一つだ」と話した。対局で敗れた李九段が、すぐに席を立たなかったのは、自分がなぜ負けたかを調べるためだった。しかし、機械相手に、それはかなわなかった。李九段は第2局が終わった日、記者会見を終えてから、5時間以上かけて徹夜で復碁したという。
それにもかかわらず、キム九段は「アルファ碁が囲碁のパラダイムを変えるきっかけになってくれて、ありがたいと思っている」と語った。彼は「囲碁は1930年代を基準にして、古代囲碁と現代囲碁に分かれる。アルファ碁によって、囲碁の新時代が開かれた。それを5番までしか見られないのは、本当に残念だ」としながら、アルファ碁がこれまでのプロ碁士の固定観念を完全に壊したと指摘した。
韓国語原文入力:2016-03-14 19:35