登録 : 2016.03.14 09:36 修正 : 2016.03.14 10:15

人工知能アルファ碁との第4局で180手で中押勝ちを決めた李世ドル九段が13日、ソウルで開かれた記者会見で笑顔を見せた。右の写真はアルファ碁が敗北を認め画面に出した「止めます(AlphaGo resigns)」というメッセージ=金ミョンジン記者//ハンギョレ新聞社

確率・統計を利用して人と似た結論
それを知能として認めるべきなのか
人間だけの領域が何かを考えるべき

 コンピューターの行動に無意識に人格を与えることをイライザ(ELIZA)効果という。ここ数日、「アルファ碁」と李世ドル(<イセドル>ドルは石の下に乙)九段の対局をめぐり語られた多くの話は、今まで見たことがないほど規模の大きいイライザ効果ではなかったと思えてならない。アルファ碁が勝ったからといって、コンピューターが人のように直観を持ち考えることができるようになったのでもなく、今回の結果が、将来、機械が人間より優位に立つことを意味することでもない。アルファ碁は人工知能の研究及び様々な分野の工学技術が頂点で出会ってもたらした結果だ。コンピュータ科学者として「ディープマインド」に最上の祝辞と尊敬を表したい。しかし、アルファ碁が成し遂げた業績を厳密な技術的脈絡から切り離し、拡大解釈するのは禁物だ。

 アルファ碁の勝利が衝撃的に受け入れられたのは、「無限に近いケースの手を持つ囲碁」で機械が人間を凌駕することはないという、長年の信頼があったからのようだ。だが今回の勝負のきっかけは、まさにその表現の中にすでに潜んでいた。人工知能にとりこれまで囲碁が難しかったのは、単に様々なケースの手がコンピュータで計算するにはあまりにも多かったためであり、根本的に人間だけが囲碁を理解できるからではない。碁盤は0と1で示せるきちんと整頓されたデータである。可能な手順の改修は、それがとてつもなく多くても、究極的に有限だ。「無限な量のコンピューター」を使えば、理論的には人間と対等か、より優秀になれないという理由はない。

 アルファ碁の成就は、現実的に計算が不可能なぐらい多いケースの手を、確率的な学習を通じて計算可能な範囲に絞り出したという点にある。確率的な学習という表現には大きく二つの意味がある。一つは「これと似たような状況で人はこうした」であり、もう一つは「このような状況でこうしてみたら大体よかった」だ。アルファ碁は確率的推論を通じ囲碁に勝つため作成されたプログラムだ。碁盤の上に特定の状況が与えられた時、理論と棋風を離れ、良手と悪手の間に確率的に有意義な差があれば、アルファ碁はこれを推論し得るだろう。囲碁だけでなく、人間が確率・統計的に有意義な性向に沿って意思決定を下す分野ならどこでも、今後、人工知能と機械学習が次第に効果的に人のように行動することになる。該当する確率分布が実際に存在する限り、これは事実だ。

 アルファ碁が私たちに投げかけた課題は、思考するとは何かにある。確率や統計を利用して人と似たような結論を出すことができれば、それを知能として認められるのかという問いだ。まだはっきりした答えは出されていない。著書『ゲーデル、エッシャー、バッハ - あるいは不思議の環』でピューリッツァ賞を受賞した認知科学者のダグラス・ホフスタッターは、IBMの「ディープブルー」がガルリ・カスパロフとのチェス対決で勝利した時、「これで私たちがカスパロフの頭脳がどうチェスをするのか少しでも理解できたのか」と自問した。人工知能研究の究極は、知能の本質に触れているべきだという主張に他ならない。逆に『人工知能:現代的接近』という著名な人工知能の教科書の著者であるスチュアート・ラッセルとピーター・ノビクは、「飛行機が空に飛び出すのに鳥のような羽ばたきをする必要はないのに、なぜコンピューターが人と同じ考え方をしなければならないのか」と、さらに実用的な見解を主張する。

 人工知能が産業全般に大きな影響を与えるのは明らかだ。だからといってアルファ碁以降の展望を、人間対機械の神話的対決の構図に持ち込むのは危険な単純化だ。それより、韓国を人間らしくするのは何であり、韓国の思考の中で本当に人間だけの領域とは何なのかを考えるべきだろう。他方で、人工知能のような高度に集積された技術資本が社会全般に持つ影響力もよく考えてみることだ。そのすべての論議が基盤となる人工知能技術全般に対する正確な科学的な理解を土台にしなければならないのは言うまでもない。

ユ・シン韓国科学技術院電算学部教授//ハンギョレ新聞社

 アルファ碁に関連した人工知能技術は発展を繰り返すだろう。李世ドル九段が諦めずに獲得した貴重な第4局の勝利の意味とは別に、未来の人工知能が最高レベルの人間の棋士と、少なくとも対等な碁を繰り広げるという見方には無理がなさそうだ。そして今回の対局以降の囲碁の未来を心配するのは杞憂だと思う。意味深いのは、ディープブルー以降、チェス棋士がコンピューターを相手に練習することにより、特定のスタイルや慣習にとらわれず、ひたすら実利に基づき、つまり「コンピュータのように」チェスをやり始めたというカスパロフの証言だ。不用意に開かれた門ではあるが、囲碁界が新しい時代を積極的に受け入れることを期待する。そして、誰から見ても高段者に見合った努力と品格を見せてくれた李世ドル九段に大きな尊敬と応援を送りたい。

ユ・シン韓国科学技術院電算学部教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-03-13 22:17

http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/734697.html訳Y.B

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