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[書評]日本の史料で日本の独島領有権主張を覆す

登録:2015-11-06 02:43 修正:2015-11-07 15:39
『日本史料の中の独島と鬱陵島』 
ユ・ミリム著、知識産業社
『日本史料の中の独島と鬱陵島』(ユ・ミリム著、知識産業社)//ハンギョレ新聞社

 ユ・ミリム韓亜分化研究所所長の『日本史料の中の独島と鬱陵島』は「独島(日本名・竹島)領有権問題」に対処するために、しっかりとした史料の発掘と研究の蓄積、その正しい解釈がいかに重要なのかを示している。

 梨花女子大学政治外交学科で学位を取得し、古典翻訳院国訳研修院を修了した後、日本の東京大学法学政治学研究科での修学を経て韓国海洋水産開発院独島研究センター副研究委員を務めた特別な履歴が物語るように、著者の多国言語への理解力と専門研究訓練、様々な実務経験は、本に対する信頼感を高める。 2013年に出した『韓国史料の中の独島と鬱陵島』続編であるこの本の特徴は、タイトル通り「日本の史料で韓国の領有権を証明することに重点を置いた」ことにある。国内の史料と中国の文書もあまねく検討している。

 1877年、日本の明治政府の最高議決機関だった太政官(朝鮮の議政府と類似)は「竹島外一嶋之義本邦関係無之義ト可相心得事(竹島外一島が日本と関係がないこと心得よう)」という内容の指令を出す。ここで竹島は鬱陵島、一島は松島と呼ばれた独島を指す。これは明らかに日本政府が独島領有権を自ら否定する内容だ。

 この文書は1693年、安龍福(アン・ヨンボク)の渡日と1696年の日本人の鬱陵島近海出漁を防いだ江戸幕府の渡海禁止令、1699年の事件終結を知らせる対馬藩の外交文書の延長線上にあるもので、独島領有権問題は、日本が島根県所属の自国領に編入させた1905年までは議論の対象にならなかった。その軍事戦略的価値とアシカなどの資源のため、独島を自国領とした日本は、太政官指令書が独島の日本領有権を否定したとしても、直ちに韓国の領有権を認めたわけではないと主張した。ところが、新しい文書の出現で、その主張の説得力が薄れると、今度はその「一島」が独島という証拠がどこにあるのかと反論し、島根県が内務省に提出した「磯竹島略図」などで、それ自体が朝鮮領であることを立証したわけではないと主張した。1900年に公布された大韓帝国勅令第41号の確認で、それも上手く行かなくなると、勅令が名指しした「石島」が独島であることを立証していないと主張したが、それも受け入れてもらえず、たとえそれが韓国領だったとしても、島根県所属の日本領に公示される前に、韓国がその領有意思を明示して「実効支配」を行っていない以上、事実上の所有主のいない土地だったとして、「無主先占論」を持ち出して、日本への領土編入が国際法的に有効であると主張した。

 これに対してユ所長は、鬱陵島に入って独島近海のアシカなど魚類を獲って日本本国に“輸出”していた人たちから税金を徴取した鬱島(鬱陵島)郡守の課税権を韓国政府が認めた1902年の「鬱島郡節目」と、それを再確認した鬱陵島に出張していた日本の書記生の布達文、海軍省の報告、日本領事館の復命書などの日本資料を根拠に反論する。韓国はその時期においても独島を実効支配していたのだ。ユ所長は、日本の中国の文献に歪曲して引用した事実も明らかにしている。

ハン・スンドン先任記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

韓国語原文入力:2015-11-05 20:29

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/716194.html 訳H.J

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