登録 : 2015.09.12 12:12 修正 : 2015.09.14 06:56

家に帰ろう! 家に帰ろう! だが、迎えたのは誰だったか

アン・オギュンの実際のモデルとされる南慈賢(左)は孫までいる歳で暗殺団に加わった。左派で代表的な金明時(中)は曹奉岩と肩を並べる革命家だった。 右派で代表的な鄭靖和(右)は解放後に生還した女性の中で一番強く独立運動に身を置いた=反憲法行為者列伝編纂委提供//ハンギョレ新聞社

 独立活動家が親日附逆派を処断する映画『暗殺』と、刑事がならず者の財閥3世を懲らしめる映画『ベテラン』が、揃って1200万観客を突破して連日話題だ。もしかしたら正義ファンタジーと呼ぶべき二つの映画。 それだけ大衆の正義実現渇望が大きいと見ることができる。 近現代史を専攻したために『暗殺』に関連した質問をたくさん受ける。本当にあのように写真を撮ったのか? 本当にあのように京城でを銃撃ったのか? アン・オギュンのような女性独立軍兵士が本当にいたのか? 日本が降服する場面を見た独立活動家たちが「家に帰ろう! 家に帰ろう!」と叫んだ時、胸がじいんとしたという人々も多い。

 本当にあのように写真を撮ったのかと尋ねる方々が結構いるのを見れば、アン・オギュン、ソク・サポ、ファン・ドクサムが宣誓文を首にかけて銃と爆弾を持って写真を撮った場面が少しぎこちなく見えたようだ。ところが、本当にそんな風に写真を撮った。尹奉吉(ユン・ボンギル)と李奉昌(イ・ボンチャン)、二人の写真が遺っている。映画では金元鳳(キム・ウォンボン)が写真を撮ろうと提案するが、太極旗の前で武器を持って撮った写真は白凡 金九が率いた愛国団のスタイルであって、金元鳳の義烈団スタイルではなかった。 金山(キム・サン)の『アリランの歌』によれば、「驚くほど素敵な友人」だった義烈団員は、写真を撮るたびに「いつも今回が最後の写真になると考え」て、素敵な服できれいに着飾ったという。

■本当に京城で銃撃戦を行ったのか

 李奉昌はにっこり笑って写真を撮った反面、尹奉吉はかたい姿勢で写真を撮った。 映画『暗殺』には尹奉吉が投げた爆弾で死亡した者と死んだが生き返った者が出てくる。 映画の後の部分に解放後に臨時政府に青年たちが集まって日本が降服する姿を映像で見る場面があるが、まさにこの映像の中に登場する。 日本が連合国に公式に降服した1945年9月3日(中国はこの日を戦勝節として記念する)日本の外務大臣、重光葵がひどく足を引きずって調印式場に向かう時、映像の中の解説者は彼が尹奉吉義士の爆弾で足を失ったと付け加える。一時、ロッテの辛格浩(シン・ギョクホ)一族の日本名である重光がここから取ったものだ、そうではないという深刻な論議の中心にあった名前だ。尹奉吉の爆弾で死亡した一人が日本の上海侵略軍司令官の白川義則であった。 日本帝国主義者らは当時、自分たちの英雄である白川を殺した尹奉吉義士に対する復讐心に燃え、彼を最も侮辱的な方式で銃殺した。日帝は尹奉吉をひざまずかせ、彼の頭を白い布で巻いた。 そして極めて近い距離から額の真ん中に一発の弾丸を撃ち彼の命を絶った。 銃殺が執行された午前7時27分は、尹奉吉の投げた爆弾で白川が病院に運ばれ、一カ月後に死んだというその時間として知られている。 尹奉吉義士の最後の姿が、ひざまずいて日章旗を描くようにさせる程に尹奉吉を憎悪した日帝は、尹義士の遺体も墓地にまともに埋葬せず、陸軍墓地に向かう道ばたの平地に勝手に埋葬し往来する人々が踏みにじるようにした。 その後、尹奉吉をそんな風に殺した白川義則を生き返らせ、自身の日本名として、その名前で独立軍討伐の先頭に立った者がいる。守旧勢力が朝鮮戦争の英雄として持ち上げ愛してやまない白善ヨプ(ペク・ソンヨプ)、まさに彼の名前が白川義則だったとキム・ヒョスンの力作『間島特設隊』は伝える。

 『暗殺』と関連して、多くの人が尋ねる質問中の一つは、1933年に本当に京城であのような銃撃戦を行ったのかということだ。残念ながら1930年代には映画のような活劇はなかった。 しかし、1920年代に義烈団は何度も京城市内を騒がせた。独立運動弾圧の象徴的機関である鍾路(チョンノ)警察署に爆弾を投げて、日本の警察隊と伝説的な400対1の血みどろの戦いを行った金相玉(キム・サンオク)、総督府に爆弾を投げて見事に抜け出し、上海の黄浦灘で田中義一大将を狙撃した金益相(キム・イクサン)、日本の天皇が暮らす宮城に爆弾を投げた金祉燮(キム・ジソブ)、日帝の代表的な搾取機関である東洋拓殖会社と殖産銀行に相次いで爆弾を食らわせ日本警察多数を射殺し自決した羅錫疇(ナ・ソクジュ)、映画の中の金元鳳があまりに多くの人が死んだとして、初めて名前を呼んだ故郷の兄 崔壽鳳(チェ・スボン)等…。 金山は1924年まで義烈団員として日帝と戦い犠牲になった人が300人にもなったと伝える。

 果たして私たちは彼らのことをどれくらい記憶しているだろうか。 映画の中のオ・ダルスが「私たちは忘れてはならない」と話しかけてくる。 しかし、どうしてすでに忘れてしまったことを…。 金元鳳という名前を初めて聞いた人も多いと言うのに…。

 映画『暗殺』が大きく寄与したことは、独立運動における女性の役割を考え直させた点だ。 独立有功者として叙勲を受けた人が1万3000人を越えるのに、そのうち女性は300人にもならない。 光復会は独立運動の過程で犠牲になった人を約15万人と推算している。 私たちがその名前を記憶して独立有功者として名前を挙げた人はその10分の1にしかならない。インターネットではアン・オギュンの実際のモデルとして南慈賢(ナム・ジャヒョン)を挙げる。 南慈賢は映画の中のアン・オギュンのように若くて美しくはなかった。 彼女が独立運動に乗り出した年齢は47歳、今なら何でもないが当時としては既におばあさんの齢であった。 実際、南慈賢はおばあさんだった。 夫が義兵として出て行き命を失った後、南慈賢は遺腹子を育てた。 その息子に妻をめとらせた後、義兵として出て行き、死んだ夫や嫁ぎ先にも両班の嫁として道理を尽くした南慈賢は、今度は夫の復習もし国も取り戻すとして独立運動に乗り出した。 子供のような若者たちが日本と戦わずに、仲間内で争うのを見て、南慈賢は二度も自分の指を切って血書を書いて団結を訴えた。 南慈賢は二度にわたり暗殺団として挑んだが不幸にして二度とも失敗した。

 最初の暗殺対象は朝鮮総督の斎藤実であった。1926年純宗皇帝が崩ずると南慈賢は遠く満州から総督を暗殺するため国内に潜入した。 南慈賢一行が義挙に着手できなかった理由は、宋学先(ソン・ハクソン)という青年が先に斉藤暗殺を試みたためだ。 どれほど多くの闘士がいれば、同じ日に斉藤の命を狙った者が重なるだろうか。 斉藤だけではない。1908年3月、米国人の親日派スチーブンスの狙撃事件も同じ時、同じ場所で同一人物を狙った朝鮮青年二人が現れた。 多くの人々が考えていることとは違い、張仁煥(チャン・インファン)と田明雲(チョン・ミョンウン)の二人は共犯ではなかった。 当時サンフランシスコには朝鮮人は数百人に過ぎなかったのに、どうしたらこうしたことが起きるのだろうか。 暗殺試図の“ダブルブッキング”事例は他にもある。 白凡 金九が尹奉吉を送ったその現場を、李会栄(イ・フェヨン)の指示を受けた白貞基(ペク・チョンギ)一行がまた狙っていた。

映画『暗殺』のアン・オギュン(チョン・ジヒョン扮)の狙撃場面。反憲法行為者列伝編纂委提供 //ハンギョレ新聞社

チョン・ジヒョンの実際のモデルと言われる南慈賢は
どうしてハルビンの旅館で息をひきとったのか

朝鮮のジャンヌ・ダルクと呼ばれた女将軍の金明時は
本当に警察署で自殺したのか

もう一人のジャンヌ・ダルクである鄭靖和は
どうして附逆者として処罰を受けることになったのか

ヨム・ソクジンが反民特委で服を脱ぎ
乱暴を働いたというのは本当だ
『大東新聞』社長の李鍾栄(イ・ジョンヨン)こそが
南慈賢を密告した人物だった
鬼神のようだった金元鳳、そして盧徳述

 1933年、還暦を迎えた南慈賢は再び暗殺団に志願した。目標は関東軍司令官の武藤信義。 今度は密偵の密告で逮捕され、思いを遂げられなかった。 南慈賢が倭奴の飯は食べないと半月にわたり戦って死にそうになると、日本は既に死にかけている人間を殺したと言われるのを嫌い南慈賢を釈放した。南慈賢はハルビンの旅館で息子と孫が見守る中で息をひきとった。 いったいどれほど凶悪な密偵が南慈賢を密告したのだろうか。『暗殺』がおもしろい理由は、もっともらしい事件がよく織り込まれているためだ。『暗殺』の後の部分で、ヨム・ソクジンが反民特委で服を投げ捨て暴れまわる、その場面とよく似たことは実際にあった。 主人公は『大東新聞』社長の李鍾栄(イ・ジョンヨン)。南慈賢を密告したまさにその人物だった。 大東新聞は今で言えば、総合編成チャンネル+朝鮮日報のようなものだ。 法廷で李鍾栄は、「私は生涯独立運動しかしていない」と言い、「私のような愛国者に勲章を付けないだけでなく、アカの言うことを聞いて私を処罰しようと言うのか」とわめき立てた。

 南慈賢は寂しく死んで異国の地に埋められたが、生きて帰ってきた女性独立活動家も多かった。 代表的な人が左派では金明時(キム・ミョンシ)、右派では鄭靖和(チョン・ジョンファ)が挙げられる。 金明時は朝鮮共産党再建運動で曹奉岩(チョ・ボンアム)と肩を並べる革命家だった。 曹奉岩は服役して国内に残り転向したが、金明時は中国に渡り独立同盟(延安派)に加担し女将軍となって帰ってきた。 東亜日報は金明時を朝鮮のジャンヌ・ダルクと呼び、金明時女将軍の話を特筆大書したし、当時最も人気があった総合月刊誌『新天地』は「金明時女将軍一代記」を掲載した。『暗殺』で重厚な感動を伝えた「家に帰ろう」が実現され、女将軍が家に帰ってきた。 そしてどうなったか。 金明時を扱った論文でも、彼女の華麗な帰国後の話が資料不足により抜けていた。 最近、ネイバーが主要新聞記事を保存したおかげで、思いがけない記事を見つけることができた。 京郷新聞1949年10月10日付は、1段記事で金明時が富平(プピョン)警察署で自殺したという短信記事を載せていた。 短い記事の中に呉制道(オ・ジェド)と鮮于宗源(ソンウ・ジョンウォン)のような公安検事らが現場に追って行ったという話が見える。 地下闘争と武装闘争で鍛練された女将軍革命家が本当に自殺したのだろうか。 他に資料がないので断言する訳には行かないが、拷問殺害されたという心証を振り切ることはできない。

 朝鮮のもう一人のジャンヌ・ダルクと呼ばれる鄭靖和は、解放後に生きて帰ってきた女性のうちで一番強く最も永く独立運動に献身した人だった。 その鄭靖和が戦争のために橋を落として逃げ帰ってきた者に反逆者として処罰を受けた。 鍾路警察署に逮捕された鄭靖和が拷問されている間、向こうで誰かが自分をしげしげと見ていて気味が悪かった。 殴られながら、そいつが誰かをじっくり考えてみると、20余年前に秘密裏に鴨緑江(アムノッカン)を行き来して日帝に逮捕されたことがあるが、その時に自身を拷問した奴だった。 朝鮮戦争前後の保導連盟虐殺、附逆者処罰、民間人虐殺を経る中で独立活動家の種は根絶やしにされてしまった。

 映画では日本が降服する映像を見た白凡 金九が「家に帰ろう」と叫ぶ青年たちを後にして隣室へ席を移す。 金元鳳が小さな酒杯に酒を注ぎ、ロウソクに火をつけて先に行った同志たちを追慕している。 あまりに多く死んだ同志たちに対する申し訳ない思いを後にして、金九と金元鳳は生きて故国の土を踏んだ。 金元鳳が故郷の密陽(ミリャン)を訪れた日、密陽の市民全員が通りを埋めて車が進めなかったという。 朝鮮で爆弾がさく烈すれば、決まって金元鳳が送った人だったので、金元鳳に対する懸賞金は青天井に上がった。 金九も金日成(キム・イルソン)も呂運亨(ヨ・ウニョン)も安昌浩(アン・チャンホ)もみな日本や中国の官憲に逮捕されたことがあるが、金元鳳はただの一度も逮捕されなかった。 そのような金元鳳が解放された祖国で、盧徳述(ボ・ドクスル)らに捕えられ拷問された。 釈放された金元鳳は義烈団の同志である劉錫鉉(ユ・ソクヒョン)の家に行き三日間号泣し、南北交渉のために北に行ったが帰ってこなかった。 故郷密陽に残った朝鮮最高の独立活動家一家は、越北者アカの家族になった。 朝鮮戦争が勃発すると、実の三人の弟と五人の従兄弟がアカだとして虐殺された。その時にかろうじて生き残った別の弟は、4月革命後に密陽虐殺の真相究明に努め、5・16直後に収監された。 夢にまで思い描いた故郷だった。 腹の底から出た重い声の「家に帰ろう!」、親日附逆者らが奪い居座った故郷は決して彼らを喜ばなかった。

■ハワイピストル? 殺人請負業者 白民泰?

 殺人請負業者ハワイピストル。 あまりに格好良く描かれたためなのか、多くの人が実際にあんな殺人請負業者がいたのかと尋ねる。 消されて忘れられるからそうなのであって、私たちの歴史にはないものはない。 反民特委の歴史に白民泰(ペク・ミンテ)という殺人請負業者が登場する。 反民特委活動が本格化すると、親日附逆派の掌握した警察が、殺人請負業者に依頼して反民特委の委員及び検察官、裁判官を暗殺しようとした。 白民泰は解放前に中国国民党諜報機関で活動した人物で、それなりに世の中を見る目もあり愛国心もある人物だった。 ヨム・ソクジンの依頼を受けたハワイピストルは、アン・オギュン一行を追跡して、アン・オギュンらが真の独立活動家であることを知り立場を変え、アン・オギュン側で戦い命を捧げる。親日警察から反民特委委員の暗殺依頼を受けた白民泰は、自身が処理しなければならない名簿にある人物が愛国者であることを知り、殺人請負業者としての職業倫理を捨てて(!)、親日警察の暗殺陰謀を白日の下に暴露した。 白民泰の暴露により痛い目にあった親日警察は、白民泰がわいろを受け取ったという容疑で拘束したが、白民泰のその後の行方は分かっていない。

 現実の白民泰は自ら暗殺を放棄したが、映画の中の親日派が雇用した暗殺請負業者はヨム・ソクジンに不利な証言をする証人を裁判直前に殺した。 証拠不充分。疑わしいが確実な証拠や証人を確保することが出来なかった特別裁判官は、やむを得ずヨム・ソクジンに無罪を宣告し、腹立ち紛れに木槌を投げて出て行ってしまう。余裕綽々法廷を出て行くヨム・ソクジン。 映画の中で人里離れた所で会ったアン・オギュンとミョンウは断固たる態度で、「ヨム・ソクジンが密偵なら殺せ」という16年前の任務を今遂行するとしヨム・ソクジンを射殺した。 痛快な場面だが、残念なことに現実とはあまりにかけ離れた場面だ。 国会プラクチ(偽装活動家)事件、反民特委襲撃、白凡暗殺につながった一連の事件は、私たちが単純に親日附逆の清算に失敗しただけではないことを見せてくれる。 残念なことに私たちの歴史は、親日附逆派を処断しなければならないと主張した民族的良心を持つ勢力が、逆に親日附逆派に清算されるという悲劇を体験した。 現実にはアン・オギュンとミョンウがヨム・ソクジンを処断したのではなく、ヨム・ソクジンがアン・オギュンとミョンウを殺してしまった。 いや、金九と金元鳳まで殺してしまい歴史から抹殺したのが、彼らのやったことだった。 16年が過ぎても私たちはその任務を遂行できなかった。 そして、歳月はどんどん流れてしまった。遅れに遅れて既に83年になったが、その任務を今からでも遂行する方法はないのだろうか。

 1948年10月12日は国会が反民特委委員と裁判官、検察官を選出した日だ。 67年後の2015年10月12日、反憲法行為者列伝編纂委員会を発足させようと思う。 83年前の任務を遅ればせながらも遂行したい者ども、憲法を破壊した何人かの名前を書いたからと民主化された世の中が直ちに来るわけではないが、それでも私たちが戦い続けているということを見せたい人々、この間忘れて過ごしてきたことを少しでもすまないと思う人々、アン・オギュン、ソク・サポ、ファン・トクサムに酒の一杯でも差し上げたいと思う人々が一緒に参加している。

(仮称)反憲法行為者列伝編纂委員会(準)市民編纂委員参加連絡先は badmen0815@gmail.com、後援口座は国民銀行006001-04-198120 平和博物館建設推進委員会

ハン・ホング聖公会大教養学部教授 //ハンギョレ新聞社

ハン・ホング聖公会大教養学部教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

※ハン・ホング:おもしろい現代史コラムの世界を開拓したヒゲオヤジ歴史学者。聖公会大教養学部教授、聖公会大民主資料館館長、平和博物館常任理事を務める。現在(仮称)反憲法行為者列伝編纂委員会(準)事業を主導している。 2004年から3年間、国家情報院過去事委員会で活動し、ハンギョレ21とハンギョレに「歴史の話」と「司法府-悔恨と汚辱の歴史」 「維新と今日」を連載した。 著書に『大韓民国史』1~4巻と『特講』 『今この瞬間の歴史』 『維新』 『歴史と責任』などがある。「ハン・ホングの歴史」は不定期連載だ。

韓国語原文入力:2015-09-11 20:53
http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/708541.html 訳J.S(7292字)

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