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映画『暗殺」に朴大統領が北京に行かねばならない理由がある

登録:2015-08-12 23:22 修正:2015-08-13 08:26
映画『暗殺』の一場面 =ショーボックス提供//ハンギョレ新聞社

 朴槿恵(パク・クネ)大統領が来月3日、中国の北京に行くべきか苦悩中だという。中国は「抗日戦争勝利70周年」閲兵式に来てくれというが、米国は制止しようとしているためだ。 二つの大国の間に挟まれた韓国の現実を見せつけるようで、韓国の大統領の境遇が痛ましく哀れだ。

 頭が痛い問題だろうが、映画『暗殺』を一度見たらいい。 光復(解放)70周年を迎え、韓中関係を顧みさせる映画だ。 映画で中国は舞台として使われるだけで、中国人はほとんど登場しない。 だが、本当の歴史をひもとけば、韓国と中国とは血を分けた兄弟のようにみな固く団結して日本帝国主義に対抗したことがわかる。 9月3日の戦勝式は、中国だけの行事ではなく、韓国と中国、ひいてはアジア全体の共同の祭りである。

■狙撃手アン・オギュン

映画『暗殺』の一場面 =ショーボックス提供//ハンギョレ新聞社

 割れた眼鏡をかけた可愛い狙撃手アン・オギュン(チョン・ジヒョン扮)は、自分を「韓国独立軍李青天部隊第3支隊狙撃手」と名乗る。

 実際、韓国独立軍は1930年に総司令官の李青天(イ・チョンチョン)を中心に結成された独立軍で、1931年に日本の満州侵攻が始まると本格的な戦闘体制を整え始める。李青天将軍が「互いに助けよう」と手を差し出した相手は中国護路軍だ。 護路軍は元々日本が所有する南満洲鉄道を守る傭兵だったが、満州事変以後に一部が反日闘争に参加して生まれた勢力だ。

 韓国独立軍と中国護路軍で構成された韓中連合軍は、日本軍に対抗しいわゆる「4大大勝」を収めたが、特に最大の勝利は大甸子嶺作戦だった。 1933年7月、大韓独立軍2千500人と中国軍6千人が力を合わせる。 日本軍飯塚連隊が「大甸子」という峠を半分ほど越えて後尾の部隊が山腹に到った時、韓中連合軍はいっせいに攻撃を浴びせ、わずか4時間で飯塚連隊を壊滅させた。 生きて逃げた者は一握りに過ぎなかったという。

 『暗殺』で見たような場面だ。そう、アン・オギュンが洞窟基地を出発し、弾丸4発で日本軍の機関銃射手4人を殺す場面が出てくるが、大甸子嶺作戦の戦闘場面と似ている。 時期も1933年と一致するし、おそらく監督はこの戦闘を念頭に映画を作ったようだ。 映画では中国人が出てこないが、実際の戦闘では韓国独立軍の2倍以上の中国軍が参加したというのが歴史上の事実だ。

■若山(ヤクサン)金元鳳(キム・ウォンボン)

映画『暗殺』の一場面 =ショーボックス提供//ハンギョレ新聞社

 映画で若山・金元鳳(キム・ウォンボン 1898~1958)は、白凡・金九(キム・グ 1876~1949)と手を握り、暗殺団を組織する人として出てくる。だが、これは事実と距離がある。映画の時代的背景である1933年には、白凡と若山の仲は良くなかった。 また、若山はすでに暗殺、爆破などのテロを放棄していた。

 事実と似ているのは若山の容貌だ。若山を演じるチョ・スンウのように、金元鳳も二枚目だった。 昔の写真を見れば、若山がチョ・スンウよりもっと線が太かったと言うべきか。 ニム ・ウェールズが書いた『アリラン』によると、金元鳳の容貌を描写する場面が出てくる。「若山は非常にハンサムでロマンチックな容貌を持っていたので、女性たちは彼が好きだったが彼は女性たちを遠ざけた」

 若山は1919~1924年、暗殺と爆破を主な闘争手段とした義烈団を率いたが、その後、路線を変えることになる。日本軍と戦うためには正規軍が必要なことを痛感したためだ。 そこで彼は1926年、中国国民党政府が建てた黄埔軍官学校に入学する。 当時、若山は28歳の若者だったが、すでに大小のテロ数百件を指揮し日帝の肝を冷やした大物だった。 そんな彼が一介の士官学校生になるとは、周辺の人々が引き止めたのは当然に見える。 だが、若山は本来の計画を押し通した。体面より実質を重視する彼の容貌が伺える部分だ。 当時、校長が蒋介石、政治部副主任が周恩来であった。 中国革命の核心人士と篤い人間関係を結び、韓中連合戦線を展開する上で必要な人的土台を積んだのだ。

 金元鳳は以後、中国国民革命軍少尉に任官し北伐にも参加する。北伐は中国人どうしの内戦だが、当時朝鮮青年たちは中国の北伐戦争が朝鮮の独立と直結すると考えていた。 これは夢陽(モンヤン)・呂運亨(ヨ・ウニョン)の行った演説の中からも明らかになる。 「今や中国革命は揚子江を渡りごうごうと北上中だ。遠くない将来、中国は統一されるだろう。 中国が統一されれば朝鮮の解放もまもなく実現されるだろう」。中国革命が朝鮮独立であり、朝鮮独立が中国革命だった時代であった。

 若山は1945年に帰国したが、1947年に警察に検挙される。若山を逮捕したのは日帝高等係刑事の出身で悪質な親日附逆派として有名なノ・トクスルだった。 若山はノ・トクスルに殴られ拷問された。 日帝警察の飽くなき追跡と途方もない懸賞金にもかかわらず逮捕されなかった若山としては、故国に帰って侮辱を受けることになり途方もない衝撃を受けた。 若山は警察署を出て三日三晩泣いて過ごした。 彼は「ここでは親日附逆がまとわりついていつ死ぬやもしれない。 私が祖国解放のために中国で日本人と戦っていた時も一度もこういう侮辱を受けたことがないのに、解放された祖国で悪質親日派警察に手錠をかけられるとは」と鬱憤をもらした。若山がノ・トクスルに捕えられ、鉄格子の中で生活している間、夫人が二番目の男の子を産んだ。 若山は獄中生活の間に生まれたとして、赤ん坊の名前を鉄根にしたと言う。彼の恨がどれほど深かったか推し量ることができる。 映画の中では、解放後に金元鳳がヨム・ソクジン(イ・ジョンジェ扮)に拷問を受けている。映画ではノ・トクスルを連想させるヨム・ソクジンがアン・オギュンとミョンウによって弾丸の洗礼を受けて死ぬようになっている。だが実際は、ノ・トクスルはあらゆる富貴と栄華を享受して齢70まで天寿を享受してソウル大病院で安楽に命を終えた。

■白凡 金九

映画『暗殺』の一場面 =ショーボックス提供//ハンギョレ新聞社

 金九が代表する臨時政府と光復軍が蒋介石の支援を受けたことは広く知られた事実だ。 蒋介石の心を揺り動かしたのは、1932年に尹奉吉(ユン・ボンギル)義士の虹口公園義挙であった。 白凡日誌によれば、白凡が助けてほしいと手を差し出しながらも、堂々としていたことが分かる。白凡は蒋介石と会った時、人払いをしてから蒋介石が直接持って来た筆と硯で筆談を交わす。「先生が100万ウォンを許諾すれば、2年以内に日本、朝鮮、満州の3方面で大暴動を起こさせ、日本の大陸侵略の橋梁を破壊するつもりだが、あなたの意見はどうですか?」。肝っ玉がすごい。これに対し蒋介石が筆をとって、「どうぞ計画書を詳しく提示して下さい」と言い、支援を約束する。

 金九も金元鳳も中国国民党の支援を受けたが、その通路が違った。金九は秘密情報機関であるCC団(陳果夫、陳立夫兄弟の名前から命名)を通じて支援を受けたが、金元鳳は黄埔軍官学校の同期生が主軸を成した三民主義力行社(別名:藍衣社)の支援を受けた。 再び映画に戻ってみれば、ヨム・ソクジンが阿片窟で麻薬に酔った状態で射撃を行い、自身の正当性を強弁する場面が出てくる。 ここでヨム・ソクジンは当時独立軍が多くの分派に分かれて戦う理由として「金の出所が違うため…」と独白する。 当時、四分五裂していた韓国の独立運動史の陰の部分を見せるもので苦々しい。

映画『暗殺』の一場面 =ショーボックス提供//ハンギョレ新聞社

 映画後半部に臨時政府の要員がニュースを見て歓声を上げる場面が出てくる。1945年9月3日、米海軍の戦艦ミズーリ号で日本が公式に降服文書に調印する場面だ。 中国の「抗日戦争勝利70周年」記念式もこの日を記念するものだ。びっこをひいてミズーリ号に乗り込み、日本を代表して文書に調印する人が当時外務大臣の重光葵だ。 彼が足を引きずる理由は、1932年に尹奉吉義士が投げた弁当爆弾によって片足を失い、義足を着用しなければならなかったためだ。 したがって中国が日本の胴に打撃を加えたとすれば、韓国人の独立闘争は日本という国の片足は折ったわけだ。

■名分と実利

 過去の義理にばかりしがみつこうというのではない。中国と共にした歴史的因縁が現在の韓国の利益になるので前面に掲げようということだ。

 経済的に韓国は中国と共に行かなければならない境遇だ。この頃は停滞しているというが、中国は依然として7%内外の経済成長率を維持している人口14億の巨大市場だ。韓国が中国を無視して、いったいどのように経済成長の活力を生み出すことができようか。 韓国の息子や娘の働き口はどこで用意するというのか。中国が咳をすれば韓国は肺炎を病むのが、最近の両国関係だ。 マーズ(MERS)事態で中国人観光客が途絶えると、韓国の経済がさまよった経験がついこの前のことだ。

 最近の世論調査で、中国の戦勝節行事に朴槿恵(パク・クネ)大統領が参加しなければならない(51.8%)が、参加してはならない(20.6%)より二倍以上多かった。政治指向別に見ても、保守層(参加64.0% vs 不参加23.1%)が、進歩層(40.8% vs 24.3%)よりはるかに高く出てきた。 韓国の国民はすでに古い理念対決の枠組みを抜け出し、中国が占めている経済的比重を認めていると見なければならない。

 将来の統一を考えれば、我々は一層中国に近づかなければならない。 DMZ地雷爆発のような事態が起きて、南北の緊張が激しくなればなるほど、中国の役割は一層重要になる。 北朝鮮とコミュニケーションが行われている唯一の国が中国だ。今後、どんな形であれ統一がなされるには、中国の支持を確保することが絶対に必要だ。

 日本の安倍政府の態度を正すにも中国は非常に有用な隣国だ。 今、安倍談話に「謝罪」が含まれるかさえ不透明な状況だ。 大統領が安倍に会わないだけでは足りない。 過去の歴史を反省しなければ日本が損するということを明確に示すためにも、中国とは垣根を越えて多くの対話をしなければならない。

 もちろん米国は残念に思うだろう。 だが、抗日闘争での韓中両国共通の歴史経験を名分として掲げれば、米国もむやみに反対はできないだろう。 「北京に行け」という世論調査結果も添えて説得すれば、韓国内の世論に敏感な米国政府なので、その効果はさらに大きくなると見る。 だから歴史的資産を最大限に活用するという戦略的次元でも映画『暗殺』を観覧するのが良いと思う。 1000万観客を動員すると予想されている今週末頃に映画館を訪れれば自然に見えるだろう。 金武星(キム・ムソン)セヌリ党代表のように、映画を見た後に大極旗を打ち振って「大韓民国万歳」を叫ぶ必要まではない。 ただ映画を観覧するだけでも光復70周年をむかえる韓国の姿勢を十分に示せるはずだ。 映画の中のハワイ ピストル爺さん(オ・ダルス扮)が「3千ドル、忘れるな」という要請に対する最小限の礼儀でもある。

 ああ、そうだ! 映画では大統領がご覧になるにはちょっと気まずい場面が一つ出てくる。 駅舎でサイレンが鳴ると人々が日章旗に向かって一斉に頭を下げる場面だ。朴槿恵大統領は映画『国際市場』に出てきた国旗下降式の場面を見て『愛国心』を強調したことがあるが、『暗殺』のチェ・ドンフン監督がこれをそっと皮肉ったのではないかという気がする。 だが、歴史学者の話を聞くと、1933年にはそのような儀礼はなかったという。 日帝強制占領期の末期になって、正午にサイレンが鳴ればすべての人が立って皇軍のための黙祷をしたという。だから大統領は気にせずに映画自体を楽しんで下さることを望む。

キム・ウィギョム先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

※参考書籍:「金元鳳研究』『白凡日誌』

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/704143.html 韓国語原文入力:2015-08-12 16:31
訳J.S(5079字)

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