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住居址・窯址など移動して保存 ‘歴史き損’ 論難

原文入力:2009-06-18午後10:08:23
ソウル市, 東大門運動場跡地に歴史文化公園造成
複合団地建設支障 理由 ソウル城郭だけ元位置に復元
“田舎の家を持ってきてソウルに移せば田舎の家か” 批判起きる

ソン・チェギョンファ記者

←ソウル市が東大門運動場跡地から発掘された下都監址などの遺構を他の場所に移して展示することにし論難が起きている。東大門運動場跡地から発掘された二間水門(左側),ソウル城郭(右上),建物と家の遺構(右下). ソウル市提供

ソウル市が東大門運動場を壊した跡地から発見された遺構を新しく作る歴史文化公園に移し保存・展示することにした。しかし専門家たちは場所性が重要な遺構を他所に移すのは歴史を傷つけることだと批判している。遺構とは昔の建築物の残っている構造や址をいう。
ソウル市は18日東大門運動場跡地に作る東大門デザインプラザ&パーク(DDP)に歴史文化公園を作る計画だと明らかにした。当初ソウル市は8万5024㎡の東大門運動場跡地に東大門デザインプラザの他にイベントホール,ギャラリーなど文化施設を備えた公園を作る計画だった。

しかし、東大門運動場跡地からソウル城郭とさまざまな建築物の遺構が発掘されるや当初計画を変更し約3万7398㎡の全体公園敷用地の中で1万9597㎡を歴史文化公園にすることにした。

歴史文化公園は大きく分けてソウル城郭と遺跡展示館,野外遺構展示場など三部分に分かれる。長さ265mが残っているソウル城郭の場合、本来位置にそのまま復元する。城郭遺跡には清渓川の五間水門と共に都城内を流れる小川の水が出て行く二間水門が含まれている。

ソウル市は「城郭遺跡は太祖と世宗,粛宗,英祖などそれぞれ違った時代に建てられた部分が残っていて、これを生かし復元することにした」と明らかにした。遺跡展示館には東大門運動場跡地から出土した朝鮮前・後期と日帝強制支配期の遺物らが展示される予定だ。

しかし歴史文化公園を巡っては論難がおきている。下都監址や一般住居跡,窯址などの遺構が大部分、東大門デザインプラザ用地に決定された城郭外側から発掘されたためだ。ソウル市はこれら遺構をすべて城郭内側の遺構展示場に移す計画だ。

これに対してファン・ビョンウ文化連帯文化遺産委員長は「遺構と遺跡は本来の場所に保存することが最も重要であり、遺構を移して展示することは歴史を傷つけることと何ら変わらない」と批判した。ファン委員長は「東大門運動場撤去工事前からソウル市はここから遺跡・遺構が出てくることを予想していた」として「これを知っていながらデザインプラザを前もって設計したソウル市が果たして本当に遺構保存意志があるのか疑わしい」と話した。

ヤン・ユンシク ハンオル文化遺産研究院長は「日本,大阪にあるNHK建物地下には千年前の排水路遺跡をそのまま保存してある」として「田舎の家を持ってきてソウルに移しても、それはもはや田舎の家ではない」と話した。またフランス,パリのルーブル博物館地下にも過去の城砦遺跡がそのまま保存されている。

これに対してソ・ビョンニョン ソウル市,東大門デザインパーク事業支援チーム長は「東大門デザインプラザ地下に遺構を保存する方案も論議したが、設計上、建物の壁が遺構内に入ることになっていた」として「文化財庁と共に検討した結果、遺構を土で覆って保存するよりは他所に移して市民が見られるようにするほうが良いと判断した」と話した。

ソンチェ・ギョンファ,キム・ギョンウク記者khsong@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/area/361264.html 訳J.S