順天郷大建築学科ヤン・サンヒョン教授は全ボン準(チョン・ボンジュン=ボン
は王へんに奉)没後120年の24日を控え、米国の東洋学者ウィリアム・グリフィス(1843~1928)のコレクションから捜し出した全琫準の写真を、専門家の監修を経て公開した。全羅北道井邑市の東学農民革命宣揚チーム長パク・テギル博士は「今回発見された写真は既存の写真と情況はほぼ似ているが、全琫準の視線と表情が少し違っていて、後方の籠や顔の方向も左に若干移っている。同じ写真家が少し時差を置き撮影したものとみられる」と語った。
今までの写真は1895年2月27日、全ボン準がソウルの日本領事館で取り調べを受けた後、法務衙門から移送される直前に日本人写真家の村上天真が撮った姿で、2010年10月に日本の奈良女子大キム・ムンジャ教授が確認して初めて公開された。既存の写真で全ボン準はカメラのレンズを睨んでいたのに対し、新たな写真では深く穏やかな雰囲気があり、歴史的人物の異なる印象を立体的に見せてくれる。
この写真は『隠者の国韓国』の著者で米ニュージャージー州立ラトガーズ大学出身の東洋学者グリフィスが収集した後、彼の死後、母校に寄贈した大韓帝国と日帝時韓国関連資料集から発見された。ヤン教授は2008年、同大学の図書館で資料集を発掘し、昨年12月に初めて論文を発表した。
ヤン教授は「カメラの専門家たちによると、当時はロール形式のフィルムが大衆化する以前の時期であることから、一枚のゼラチン乾板フィルムを多重分割して連続撮影するカメラ(マルチプライングカメラ)が使われたと推定される。連続した別の写真が発見され、シャッターが押された時の刹那が、歴史の中で具体的な時間に変わる連鎖的認識を提供してくれる」と説明した。
1894年3月、全羅北道古阜で農民蜂起を主導した全ボン準は、公州牛禁峙の戦闘で敗れて潜伏していた同年12月末、同道の淳昌で逮捕され、ソウルに強制連行された。法務衙門権設裁判所で5回にかけ裁判を受け、翌年4月24日(陰暦3月30日)にソン・ファジュン、チェ・ギョンソン、キム・トンミョン、ソン・ドゥハンと共に殉教した。
韓国語原文入力:2015-04-24 00:51