2011年に日本が返還した本から発見
シン・ヨンウ教授 研究結果を発表
「1894年 95日間 官軍3千人余りを動員」
1894年の甲午農民戦争当時、東学農民軍を鎮圧するために組織された朝鮮官軍の最高指揮部である両湖都巡撫営の実体を記録した公文書「甲午軍政実記」(10巻)の内容が初めて公開された。 この文献資料は2011年に日本政府が韓国に返した日本宮内庁所蔵の朝鮮図書1205冊の中に入っていたものだ。
シン・ヨンウ忠北大学教授(史学科)は21日、ソウル延世大学術情報院で北東アジア歴史財団、韓国史研究会が共同主催した「日清戦争・東学農民革命と21世紀東アジア未来展望」国際学術会議を通じて「甲午軍政実記」に関する研究結果を発表した。
この日公開された「甲午軍政実記」の内容を見れば、両湖都巡撫営は1894年9月22日から12月27日までの95日間、東学農民軍鎮圧のために運用した特別指揮部であった。ソウルとその近傍に兵営を置いた京軍の各兵営から派遣された兵士たちの戦闘報告をはじめとして各道の監営と郡県が上げた軍事動向と鎮圧関連報告を受け付けた機関だ。
両湖都巡撫営は今日のソウル市庁格である漢城府(ハンソンブ)に設置された。 所属人員は最高責任者である都巡撫使シン・ジョンヒを含め計526人だった。 都巡撫営は護衛庁、統衛営、壮衛営、総禦営、龍虎営、経理庁、教導隊、鎮撫営など、ソウルと江華島(カンファド)に駐留した京軍の各兵営を鎮圧作戦に動員した。 作戦に出動した京軍の将卒は2501人と書かれている。 彼らは天安(チョナン)、全州城(チョンジュソン)等に出動し農民軍と戦い、一部は鎮圧を任された日本軍後備歩兵19大隊に派遣されもした。 シン教授は「都巡撫営の規模と体制、性格から見て、当時政府が農民軍鎮圧に総力を挙げたことがわかる」と分析した。
都巡撫営は農民軍鎮圧が終わっていないその年の12月23日、指揮官シン・ジョンヒが江華留守に人事発令されたのに続き4日後に解体された。 シン教授は「日本の内政干渉に従ったこと」と指摘した。「指揮部の核心だった都巡撫使シン・ジョンヒと都巡撫営の先鋒將イ・ギュテが、日本公使の井上馨と日本の鎮圧軍である後備歩兵19大隊将校らに協力しなかったため、井上が廃止しろと圧力を加えた」ということだ。
甲午農民戦争当時の官軍鎮圧機構の構成、組織と活動全般を記録した朝鮮政府の公式文書は今回初めて確認された。「甲午軍政実記」を通じて今まで分かっていなかった戦争当時の各地域の細部動向を広範囲に把握できる唯一本史料だとシン教授は評価した。 2011年に返還された日本宮内庁所蔵本は、旧韓末の朝鮮統監 伊藤博文が朝鮮から搬出して行った貴重図書で、相当数が唯一本だ。