東学農民革命当時、最後の激戦が繰り広げられた全羅南道長興(チャンフン)に記念館が開館する。
全羅南道長興郡は26日、長興邑南外里165一帯の2万6000平方メートルの敷地に地上1階、建築面積2800平方メートル規模の長興東学農民革命記念館を開館する。
長興郡は2012年から134億ウォンを投じ、東学農民革命で最後の戦闘が繰り広げられた長興邑の石台付近に記念館を建てた。 屋外には象徴造形物と旗の広場を作り、屋内には展示室、体験室、映像室、収蔵庫、休憩室などを備えた。
長興邑石台は、1894年末から1895年初めまでの41日間、東学農民軍と日本軍・官軍討伐隊の間に一進一退の攻防が行われた激戦地だ。 長興地域の農民軍は1894年12月1日、長平(チャンピョン)で起包(「包」は東学農民軍の単位組織)して、1万~3万人の勢力を形成した後、チャンヨン城、康津県(現、康津郡)、兵営城を落とし羅州(ナジュ)に向かい、鎮圧軍が押し寄せてくると地形を熟知した故郷で戦おうと回軍した。 彼らは長興の石台と玉山(オクサン)などで激しい戦闘を行ったが、日本軍と官軍の最新兵器に押されて1000~2000人が亡くなるなど煮え湯を飲まされた。
当時長興からは「輔国安民」と「除暴求民」のために生命を喜んで捧げた英雄が多数出た。“南道将軍”と呼ばれた東学の大接主(「接」は東学農民軍の県単位大隊を指す)李邦彦(イ・バンオン)将軍は、ジャンテ(上部を木で鳥の巣のようにからめ、下部に車輪を付けた戦闘用車両)を利用して弾丸を防ぎ、討伐軍を打ち破るなど知略を発揮した。 22歳の女将軍イ・ソサは戦闘の度に率先して戦い士気を大いに高めたが、日本軍に逮捕され拷問により獄死した“韓国版ジャンヌ・ダルク”であった。 13歳の少年将帥チェ・トンニンは大興面大徳邑蓮芝里の出身で、幼くして馬に乗り石台戦闘に出て農民軍を指揮するなど勇名を馳せた。少年船乗りのユン・ソンドは、日本軍のせん滅作戦に追われた農民軍数百人が南海端の会鎮(フェチン)徳島(トクト)に追い込まれた危機の瞬間に彼らを莞島(ワンド)、高興(コフン)などの島に無事に逃避させることに命を賭けた。
チャン・モチャン郡学芸研究士は「農民軍の英雄物語を生き生きと展示し、地域民には自負心を与え、観覧客には歴史を知らせる役割を果す」と話した。
郡は開館式を東学農民革命が絶頂に達した全州(チョンジュ)入城日に合わせて開くことにした。これで東学農民革命関連記念館ができたところは全州、井邑、長興の3カ所に増えた。 関連史跡は井邑の全琫準(チョン・ボンジュン)生家をはじめ、井邑、黄土ヒョン、公州 牛禁峙、長城黄龍、長興石台など5カ所にある。