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24年越しの無罪、起訴・有罪判決を下した判事・検事は出世街道を歩み続けた

登録:2015-05-15 00:03 修正:2015-05-15 07:20
 
写真左がカン・ギフン氏遺書代筆事件の捜査責任者であったカン・シンウク元大法官(当時、ソウル地検強力部長)、右は事件の主任検事であったシン・サンギュ弁護士 //ハンギョレ新聞社

 カン・ギフン氏が24年間も「仲間の自殺を幇助して遺書まで代わりに書いた」という濡れ衣を着せられている間、彼を起訴して有罪判決を宣告した検事と判事たちは、出世街道をひた走っていた。

 1991年7月カン氏を起訴していた主任検査は、当時、ソウル地検強力部で働いていたシン・サンギュ弁護士だ。ソウル中央地検3次長など、検察内要職を一通り経て、高検長まで昇進した後、2009年に弁護士として開業した。当時捜査チームはのソウル地検のカン・シンウク強力部長が率いており、主任検事以外にもアン・ジョンテク、パク・ギョンスン、ユン・ソクマン、イム・チョル、ソン・ミョンソク、ナム・ギチュン、クァク・サンド検事が捜査に参加した。

 あいにく、彼らの中には、朴槿恵(パク・クネ)政権に関わった人が多い。カン・シンウク部長検事は、後に大法官(最高裁判事)を経た後、政界に飛び込み、2007年朴槿恵キャンプの法律支援団長を務めた。ナム・ギチュン弁護士は、2012年の大統領選挙当時、セヌリ党の政治刷新特別委員会クリーン政治委員長を務めた。クァク・サンド弁護士は、朴槿恵政権の最初の大統領府民政首席だった。キム・ギチュン前大統領府秘書室長は、この事件当時法務部長官だった。

 1991年1審裁判長だったノ・ウォンウク弁護士は、その年弁護士として開業し、2審裁判長のイム・デファ弁護士は、特許法院長を務めた後、弁護士に転業した。 1992年カン氏の有罪判決を確定した大法院裁判部で主審を務めたパク・ミンホ元大法官は、2002年公職者倫理委員会委員長となった。同じ裁判部にいたユン・ヨンチョル元大法官は、2000〜2006年の第3代憲法裁判所長として在職し、行政首都移転に対し違憲決定などを下した。

ソ・ヨンジ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-05-14 19:58

https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/691272.html  訳H.J

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