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ショートドラマの人気が意味するもの【寄稿】

登録:2026-10-28 08:11 修正:2026-10-28 10:24
スラヴォイ・ジジェク|リュブリャナ大学(スロベニア)、慶煕大学ES教授
アンスプラッシュ//ハンギョレ新聞社

 疲れをいやそうとインターネットをさまよっていると、10分程度のいわゆる「善行動画」(Kindness Videos)というジャンルの動画を見つけた。「パンを持ち去った家政婦を解雇し、彼女の家までついて行き、涙を流す大富豪」といったありきたりなタイトルの付いたこうした動画では、貧しい人は思いがけない見返りを得て、裕福な人は社会的弱者の苦しみを発見し、自己犠牲的な行動は感動的な和解へとつながる。正直に言えば、筋金入りの冷笑主義者である私でさえ、こうした動画をみて深い情緒的な満足感を覚えた。しかし、これこそが最も純粋なかたちのイデオロギーなのだろう。動画のなかでは、それらの作用が一時的に停止しているだけで、搾取や利益追求、日常の暴力は依然として存在しており、個人が心と心で通じ合っているようにみえても、彼らの特権的な地位と非特権的な地位はそれぞれそのまま維持されている。こうした動画は、感傷的な効果を通じて、この社会の階層的構造を無視するよう、あるいは自然なものとして受け入れるよう強制することで、われわれを愚か者に仕立て上げる。

 ここで注目すべきはショートフォームという形式だ。短い形式は、時間をかけて細部を注意深く検討する余地を残さない。本の要点を伝える書籍要約サービスも同じだ。「ブリンキスト(Blinkist)」をはじめとする書籍要約サービスは、1日に15分だけ時間を割けば、年間100冊の本を読めると約束している。問題は、こうした要約が、本を本たらしめる細やかなニュアンスを消し去ってしまうことだ。著者が意図したわけではないが、知らず知らずのうちに意図した以上のことをあらわにしてしまう箇所、あるいは誰もが知るありふれた考えを、その本ならではの独特な視点に変えるような細部のことだ。テキストには直接書かれてはいないが、確かに存在する意味がある。著者が最後まで語らずに空けておいたところや、著者が懸命に否定して押しのけた考えのように、空白のかたちでしか残されていない意味だ。要約は書かれた内容を削る作業であるため、書かれていないかたちで存在する意味は、そもそも盛り込むことができない。ヘーゲルの『法の哲学』を例に挙げよう。ヘーゲルは、生命を脅かされている個人は、他者の所有に対して、慈悲ではなく権利として「緊急権」を主張できると記した。この権利を、ある階級全体が別の階級の所有に対抗する行為にまで普遍化することはできるだろうか。ヘーゲルはこの点について明示的に答えていない。しかし、彼が貧困を説明する際、ある階級が別の階級に加える不当な行為だと記した部分を緊急権に関する説明と重ね合わせて読むと、われわれは緊急権を通じて階級闘争を正当化するヘーゲルに出会うのではないだろうか。15分間の要約版は、このような決定的な含意を必然的に見落としてしまう。

 このように長い作品を要約するにとどまらず、いまでは最初から作品そのものを短く作ることもある。ショートドラマがそれだ。「マイクロドラマ」、あるいはスマートフォンの画面に最適化された「縦型ドラマ」とも呼ばれるこうしたシリーズは、1話あたり1~2分、全20~100話で構成されており、ショートドラマのプラットフォームで1話ごとに課金され、少しずつ消費する方式に合わせて作られている。ショートドラマが狙う消費者は、落ち着いて座って映画を1本観る時間を作れない人たち、つまり、休息や消費のためのまとまった時間を確保できず、生活そのものが恒久的な動員状態に置かれている人たちだ。ショートドラマは、配達、配車プラットフォームでの運転、介護労働、列に並ぶ時間、食事、トイレの利用などの合間に生じる隙間時間を狙い撃ちにする。ショートドラマ市場がますます拡大している現象は、正規雇用の欠如が不安定な立場の労働者たちの絶え間ない労働によって補われ、「好きなときに働ける」という、いわゆる「自由」が、生き残るためにはますます多く働かざるを得ないという圧力へと変化しているこの社会の逆説を反映している。いまやわれわれは、短くて愚にもつかないメロドラマの映像をみているうちに、自分の人生の無意味さと向き合いながら過ごすことのできたわずかな孤独の瞬間さえも奪われている。

//ハンギョレ新聞社

スラヴォイ・ジジェク|リュブリャナ大学(スロベニア)、慶煕大学ES教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/1282943.html韓国語原文入力:2026-10-19 00:30
訳M.S

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