「第3条(1)何人も同法律(通信秘密保護法)と刑事訴訟法又は軍事裁判所法の規定によるものでない限り、(中略)公開されていない他人同士の対話を録音又は聴取してはならない」
これが大韓民国の法律だ。捜査機関であれ情報機関であれ、裁判所の令状なしに盗聴または傍受をしてはならない。「1年以上10年以下の懲役に処」される重大な犯罪だ。
今回流出した米国機密文書から、韓国の国家安保室が盗聴された情況が明らかになった。当該文書には電子装備で収集された情報を意味する「SI」コードが明記されている。盗聴疑惑について、米国家安全保障会議のジョン・カービー戦略広報調整官は12日、「国家安保を守るため必要なこと」だとし、「今後も続ける」と述べた。盗聴を認めたわけだ。
外国人や機関が自国領土内で自国法に違反した行為を犯した情況が明らかになった時、これに目をつぶるのは、国家の根幹である法体系を揺るがす行為であり、まさに国家の主権と独立性を放棄することだ。正常な国なら強く抗議し、真相を調査し、必要ならば捜査もしなければならない。その結果に見合う措置が伴わなければならない。
ドイツがそうだった。2013年、米情報機関がアンゲラ・メルケル首相(当時)の携帯電話を盗聴したという疑惑が報道されたことを受け、メルケル首相は米大統領に直接抗議した。ドイツ連邦議会は委員会を設置し、調査を行った。そして連邦検察が捜査に着手した。連邦検察はドイツ情報機関職員を二重スパイ容疑で逮捕し、ドイツ政府は捜査で捉えた「疑わしい活動」を理由に駐ベルリン米国中央情報局責任者を追放した。
ただし、盗聴そのものを処罰することはできなかった。連邦検察は1年余りの捜査の末、証拠不十分で事件を終わりにした。有罪判決を受けるためには誰が、いつ、どこで、どんな方法で盗聴をしたのか、具体的な事実を証明しなければならないが、米国側が協力を拒む中、刑事訴訟法が要求する水準の証拠の収集が困難という理由だった。
刑事処罰まで進めることはできなかったが、ドイツは自国領土で起きた犯罪容疑に対し、できる限りの対応をしたわけだ。当時、米情報機関に盗聴されたと報じられたメキシコ大統領も独自の捜査を指示し、ブラジル大統領は米国訪問を取り消した。国家安保室に対する盗聴の情況があったにもかかわらず、抗議と真相調査はおろか「偽りの疑惑」だとし「容疑者」をかばい続けた韓国政府の対応とは全く異なるものだ。犯罪の情況にも目をつぶるこのような対応なら、米情報機関に不法盗聴の「治外法権」を与えるも同然だ。
対日屈辱外交においても大韓民国の法治は深刻に損なわれた。日帝強占期(日本の植民地時代)の強制動員に対する「第三者弁済」案は、加害日本企業の賠償責任を認めた韓国最高裁(大法院)判決に反するものだ。法的紛争の最終審判者である最高裁の権威が崩れれば、国家の法治は秩序を失うことになる。
しかも朴槿恵(パク・クネ)元大統領がこの判決を遅延させるために最高裁と取引したことを「司法壟断」として処罰するのに先頭に立った尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が、最終判決内容を事実上覆すという、より深刻な壟断を行っている。
旧韓末の朝鮮で、日本の軍警と民間人は不平等条約で手に入れた治外法権を享受した。犯罪を犯しても軽い処罰にとどまり、処罰されないことも多かった。その後、日帝強占期には従軍慰安婦・強制動員のような反人道犯罪が躊躇なく行われた。韓国が主権を取り戻した後、民事訴訟の形とはいえ、歴史的正義を実現していっている状況だ。それなのに、加害日本企業の弁済の責任を韓国政府が乗り出して免除しようとしている。日本企業に再び治外法権でも与えようとしているのか。これでも独立した法治国家といえるのか、疑問だ。
法治を強調する「検事政権」が次々と繰り出す「法治否定外交」は、一見理解できない。だが、検察が法治を強調しながらも正反対の行動を取ってきたことを考えれば、今の非常識な外交もそう不可解ではない。検察はターゲットにした人は苛酷に追い詰めるが、見逃すべき人は法の物差を曲げてでも大目に見る。「身内をかばう」のは長い伝統として定着し、検事出身である大統領の配偶者は、その頂点の恩恵を享受している。彼らに与えられた治外法権の名前は「有権(権力)無罪」であり、「有検(検察)無罪」だ。だから「米日無罪」というもう一つの治外法権が設けられたとしても、何ら驚くことではない。正義と公正に目をつぶる選択的捜査や起訴のように、国家の主権と歴史的正義に目をつぶる独断的外交も厚かましく推し進めれば済むことだ。国民の怒りと批判はいずれにせよ彼らの考慮事項ではない。外交も実に「検事らしく」進めている。