3月16日、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は日本の岸田文雄首相と東京で首脳会談を行った。「大韓民国大法院(最高裁)」の最終判決を「大韓民国大統領」が無力化し、12年ぶりに開かれた会談だった。尹大統領は支持率が1%になってもすべき仕事はすると言った。韓国が先にコップの半分を満たせば「日本の誠意ある呼応によってコップが満たされるだろう」と公言した。だが、そんなことは起こらなかった。
日本政府は、日帝が犯した反倫理的な犯罪行為に対して、儀礼的な謝罪さえしなかった。さらに岸田首相は、強制動員被害者を「旧朝鮮半島出身労働者」と呼び、強制動員があったという歴史さえ否定してしまった。代わりに岸田首相は「金大中‐小渕宣言(日韓パートナシップ宣言)と歴代内閣の歴史認識を継承する」と語った。「過去の歴史に対する痛切な反省と心からのお詫び」をするという小渕恵三元首相の談話を継承するということだが、それはまた、韓日慰安婦合意後の「日本軍慰安婦を戦争犯罪に該当するものと認めるのではない」「これ以上謝罪しない」といった安倍晋三元首相の歴史認識も継承するということだった。
「私が君を困らせたことは申し訳ない。だが、すでに謝ったし、実際は私の過ちではないので、もう再び謝ることはない」という詭弁だった。首脳会談は、少しの罪悪感もなしに傲慢に見下す加害者を前に、被害者がひざまずいて頭を下げ、和解を乞うという侮辱的なものだった。国民のために働くよう選んだ大統領が、国民に侮辱感を味わせたのだ。
韓国の保守が建国と産業化の英雄としてあがめる李承晩(イ・スンマン)元大統領と朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の核心となる統治理念は、日帝に「侮辱」された民族の傷を想起させる民族主義だった。その観点からすれば、今回の首脳会談は奇異だった。李承晩は、親日勢力の絶対的な支持で大統領になったが、日本に対する強硬な立場を守ることによって自身の権威主義統治を正当化した。朴正煕(高木正雄)は「忠誠を尽くして日本に報い、犬馬のように忠誠を尽くすことを誓った」満州国の将校だった。だが、軍事クーデター後の朴正煕も、民族が受けた侮辱を絶えず喚起し、国民を経済開発に動員した。
そのような姿だった保守が、とうとう民族を捨てた。権威主義は1987年の民主化によって後戻りできないものとなり、これ以上の高度成長は不可能であるならば、韓国保守に残ったものは新自由主義と反共産主義だけだ。尹錫悦政権が語る「国益」のあるところだ。新自由主義の観点で保守が民族を捨てたというのは、国益はもはや誰のためのものなのか問わないということだ。民族が消えた時、保守にとって国益は、投資した分あるいは能力の分だけ利潤を配分する問題であるためだ。尹錫悦政権が力や富を持つ者のために働くのはそのためだ。民族は、韓国の保守が同じ民族という理由で国民全員のために献身しなければならない最後の大義名分だったからだ。
また、保守が民族を捨てたということは、尹錫悦政権が平和の代わりに対決を選択したことを意味する。朝鮮半島の北側に住む人々は、もはや南側の我々とともに平和に生きていくべき同じ民族ではないのだ。北朝鮮が力で制圧しなければならない敵になる時、交流と協力を通じて平和体制を作りださなければならないという要求と行動は、すべて利敵行為になる。尹錫悦政権が韓米日同盟にすべてを賭ける理由だ。
そう、もしかしたら「民族」はより良い未来のために私たちが捨てるべき旧時代の遺物なのかもしれない。実際、歴史は民族の名で強行された数多くの暴力であふれているからだ。日帝強占期(日本による植民地時代)の間に強行され続けた朝鮮人に対する暴力的な民族差別と、解放後に数十年間続いた独裁は、それを証明する。だが、民族を単に古い遺物と近代に作られた「想像の共同体」として片付けることはできない。
フランスの社会学者ブルデューが語るように、未来を作りだす力の源泉が日常で累積され構成された感情であるならば、民族(感情)は、私たちがどうするかによって、私たちが隣人とともにより良い未来を作りだす動力となる可能性もあるからだ。民族は、韓国の産業化と民主化を追求した強力な力であったし、朝鮮半島に平和を定着させ、より良い世界のための社会的連帯を作りだす力にもなり得る。私たちが捨てるべき民族は、自分たちと違う人を排除し暴力を振るう民族だ。民族を捨てた尹錫悦政権では、私たちすべてのための国益が消えているわけだ。
ユン・ホンシク|仁荷大学社会福祉学科教授・ソーシャルコリア運営委員長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )