首都圏と中部地方の最低気温が氷点下10度を下回った22日、私は列車に乗った。午前7時出発のソウル発釜山(プサン)行きKTX。列車の中でもかじかんだ指は温まらない。列車がかなり南に至ってようやく客室は温かくなってきた。ついに到着した釜山の気温はプラス2.3度。暖かい町だった。しかし、南の街のすべての人々に温もりが許されているわけではなかった。悲しみが真っ青な寒気となり、一日たりとも温もりの得られない人々に会った。梨泰院(イテウォン)惨事で息子や娘を失った母親たちだった。
「あの日、私が子どもの家に行くべきでした」「あの日、釜山に帰ってこいと言うべきだったのに…」
2022年10月29日。あの日は取り戻せないのだろうか。数万回考えたあげくたどり着いたのは自責だった。何の過ちもない親たちがそう言うのだ。「そんな風に考えないでください」という慰めは無意味だった。意志でどうなるものではなかった。惨事から2カ月が過ぎつつある。間もなく年が明ける。だが、この悲劇の責任を取る人間はいない。納得のいく説明をする者もいない。非現実的な悲しみはもたれかかるべきものを失った。世に大声で叫んででも答えが返ってこないから、自分のせいにしてでもこの悲劇を理解してしまいたい気持ちなのだろう。しかし、それは事実ではなかった。
生と死を分けたのは誤りではなく偶然だった。自らの意志とは関係なしに、人の波に押されて惨事が発生した路地に入っていった人々は犠牲となった。別の路地に飲み込まれていった人々は助かった。犠牲者たちは食べ物を買いに行って、家に帰ろうとして、少し風に当たろうとして、命を落とした。ずいぶん前から予想できた危険だったのに、政府も自治体も対策を立てなかった。あの日の昼から警察などには通報が相次いでいたのに、まともな対応はなかった。惨事の責任は犠牲者でも親でもなく政府にある。
法律家があふれている政府なので、責任の割合についてとやかく言いたい人間が多いのかもしれない。国会がイ・サンミン行政安全部長官の解任決議をあげたことに対して、大統領室は12日、長官の進退は「真相がはっきりと白黒ついた後に判断すべき問題」だと述べた。イ長官が責任を取るべき割合を計算しようという意味に聞こえる。彼の弁護人が言いそうなことだ。
しかし、そのような計算では永遠に惨事の責任を取ることはできない。梨泰院惨事に悲しむ市民たちは哀悼によってこの悲劇の責任を分かち合っている。彼らに過ちがあるはずもないが、守ってあげられなくてすまないと言う。残酷な路地にとどまって心肺蘇生法を施した市民、現場の警察、消防士、医療スタッフは、より多くの命を救えなかったという事実に挫折し、罪悪感を感じている。彼らの存在が、韓国社会の痛覚がまだ生きていることに気づかせてくれる。悲劇をめぐって責任感がぬぐい去れない多くの人々の姿を見て、慰めを得る。
もしかすると、私たちは近いうちにイ長官をはじめとする政府高官たちが梨泰院惨事の法的責任を完全に免れるのを見ることになるかもしれない。起訴されるかどうかを計算し、捜査や裁判で口実になるようなことは言わないほど有能な人間が、現政権には多いからだ。しかし、そのような人々であふれている政府が良い政府であるわけがない。悲しみは、もたれかかる場所が見つけられなければ怒りとなる。家族を失った遺族と彼らの痛みに共感する市民の怒りは、警察の捜査や検察による起訴のように簡単には避けられないだろう。
「誰よりも苦しみから抜け出したいのは家族です。でも納得できないでしょう」。寒い冬が過ぎれば、春が来て花が咲くだろう。梨泰院惨事の遺族たちは、その当然の季節の変化を共にした人を納得しえない理由で失った。一日で158の世界が崩壊したのに、政府関係者たちはその廃きょで一人生き残ることばかりを考えている。このままでは梨泰院では春が期待できない。どうか、今からでも政府が人間の温もりをもって梨泰院惨事に向き合ってくれることを祈る。新年の願いはこれをもって代える。
チョン・ファンボン | 探査企画チーム長兼コミュニケーションデスク (お問い合わせ japan@hani.co.kr )