仁川(インチョン)地域の市民社会団体が、国防部による旧日本軍造兵廠病院の撤去を批判した。
日本陸軍造兵廠歴史文化生態公園推進協議会は9日午後1時、旧造兵廠病院のある仁川の米軍富平(プピョン)基地(キャンプマーケット)前で記者会見を行い、「旧造兵廠病院は1940年代の日帝の侵略と強制徴用の歴史的現場であり痕跡」だとし、「必ず存置され、日帝の侵略戦争の蛮行を伝える標示とならなければならない」と語った。
推進協議会は、旧造兵廠を存続させれば土壌汚染浄化期間内の浄化は不可能だという仁川市の説明について「キャンプマーケット課が委託した2つの業者のうちの一つは、1年内に47億ウォン(約5億200万円)で汚染浄化が可能だと言った」とし「数カ月前にはコストが問題だと言ったかと思えば、今は期間が問題だと言っている」と述べた。続いて「仁川市に存置の意志さえあれば、今後2023年までに十分に下部の汚染土壌を浄化し、旧病院を保存できる」と付け加えた。
推進協議会はまた、「旧造兵廠病院はレンガ造りであるため、一度壊してしまうと原型復元や移築が難しく、復元に莫大な費用がかかる」とし、「仁川市と国防部は直ちに旧造兵廠病院の撤去を中止すべきだ」と述べた。
旧日本軍造兵廠病院は、日帝時代に朝鮮人の強制労役によって建てられた施設で、日本軍が兵器などを保管しておく造兵廠に付設された。1945年の解放後は米軍がこの建物を病院として使用し、朝鮮戦争中に大部分が焼失した。その後、米軍はこの建物を多目的倉庫などとして利用してきた。現在は1棟(米軍が新たに建てたものを除く)だけが残っている。