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「安重根義士の遺体、松の棺に安置…旅順刑務所内の共同墓地に埋葬」

登録:2022-10-27 04:13 修正:2022-10-27 07:56
殉国4日後の現地の新聞記事を発掘…仮説を裏付け 
遺族の韓国埋葬要請が拒否されたという内容も
国家報勲処は26日、安重根義士の遺体の行方と母親のチョ・マリア女史の社会葬挙行を扱った満州の地域新聞『聖経時報』の1910年3月30日付の記事を公開した。この記事は当時の中国の刊行物を分析する過程で最近発掘されたもの=国家報勲処提供//ハンギョレ新聞社

 安重根(アン・ジュングン)義士の遺体がハルビン産の松で作られた棺に納められ、旅順刑務所の共同墓地に埋葬された可能性を示す中国現地の新聞記事が初めて発掘され、公開された。

 国家報勲処は、安重根の義挙113周年を迎えた26日、安重根が旅順刑務所で殉国した後の状況を記した中国現地の新聞記事を公開した。報勲処が公開した記事は、安重根殉国4日後の1910年3月30日付の満州地域の新聞『聖経時報』のもので、安重根の2番目の弟である安定根(アン・ジョングン)が安重根の遺体を韓国に埋葬したいと要請したが、日本の当局に拒否されたとも記されている。

 報勲処は、弟の要請に対して日本当局が「遺骨は他の死刑囚と同様に刑務所が管理する死刑囚共同墓地に埋葬される」と答えたことをあげ、安重根の遺体は当時の旅順刑務所内の共同墓地に埋葬されたとする有力な仮説を再度裏付けるものだと説明した。報勲処はまた「安重根義士の遺体がハルビンの松で製作された棺に納められたという内容はもちろん、これまで安重根義士の遺体の行方を刑務所関係者の回顧録、日本の情報報告書にもとづいて推定してきたが、今回初めて旅順刑務所の位置する中国満州現地で当時これを報道した記事を発見したという点で、意義深い」と評価した。

 安重根の遺体が埋葬されたと推定される地としては、これまで中国大連の旅順刑務所墓地、それに隣接する元宝山地域、そして同地域近くの中国の単独発掘地域の3カ所があがっていた。旅順刑務所墓地は東山坡とも呼ばれ、当時の旅順刑務所の医務官や現地の中国史研究家などが埋葬推定地としていた。中国は2001年1月に同所を「全国重点文物保護単位」区域に指定している。元宝山地域は旅順刑務所の所長の娘である今井房子氏の証言にもとづき、2006年6月に南北共同調査団などが埋葬推定地とし、2008年3~4月に発掘を実施したものの、安重根の遺体は見つからなかった。現在、同地にはマンションが建てられている。中国は旅順刑務所博物館の駐車場の経営者の証言をもとに、2008年10月に元宝山近隣地域で単独の発掘作業を行ったが、やはり安重根の遺体は見つからなかった。

 安重根の遺体埋葬地が推定できるこの新聞記事は、報勲処と駐上海総領事館が独立有功者の発掘と褒賞に必要な立証資料の収集のために、昨年5月から今年8月までの1年あまりにわたって共同で「日帝強占期に中国で発行された新聞および刊行物88種」から独立運動の関連記事3万3000枚あまりを抜粋し、分析する過程で発掘された。報勲処はこの資料をもとに、独立運動に参加したと推測される2000人あまりの人物を確認し、未褒賞の独立運動家に対する褒賞を進める計画だ。

シン・ヒョンチョル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/1064367.html韓国語原文入力:2022-10-26 17:10
訳D.K

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