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在韓米軍基地内の日帝時代の建物撤去…土壌浄化のため

登録:2022-11-09 02:58 修正:2022-11-09 08:38
日帝の造兵廠の病院だった建物…撤去後の復元を準備 
市民団体、撤去の必要性には共感、密室での論議には反発
仁川の米軍富平基地にある造兵廠の病院だった建物。国防部はこの建物の撤去作業を8日に開始した=仁川市提供//ハンギョレ新聞社

 国防部が進めている仁川(インチョン)の米軍富平(プピョン)基地(キャンプマーケット)跡の中にある旧日本軍の造兵廠病院だった建物の撤去をめぐって、議論が起きている。地域の市民社会団体は、日本帝国主義の侵略と略奪の歴史が染みついている建物を撤去する際に、十分な意見集約がなかったとして反発している。

 8日の本紙の取材を総合すると、旧造兵廠病院では現在、アスベスト撤去作業が行われている。本格的な建物の撤去作業は、この作業が終わり次第開始される。先月末、国防部は「10月3日までに旧造兵廠病院の利用計画を提示しなければ撤去を進める」とする公文書を仁川市に送っている。この建物は日帝強占期に日本軍が兵器などを保管していた造兵廠に付設された病院で、解放後に駐留した米軍は、この建物を多目的倉庫などとして利用してきた。

 この建物の処理の方向性をめぐっては、この1年あまりの間に紆余曲折があった。当初、仁川市は市民が参加する「仁川市キャンプマーケット市民参加委員会」の議論の結果を受け入れ、国防部に「事後の復元を前提とした撤去」との方向性を昨年6月に通知していた。しかし、これを知った文化財庁が2カ月あまり後の昨年8月、この建物の文化財的価値を強調し「撤去猶予」を要請したことで、状況は反転するかに思われた。

 しかし、今年9月に国防部、仁川市、文化財庁の3者が協議した結果、撤去へと方針は再び傾いた。化学物質などで汚染されたキャンプマーケット跡の土壌の復元に関する現実的な問題が浮き彫りになったためだ。環境保全法の定める土壌汚染の浄化期間は2年で、1年以内の延長が2回可能だが、この建物があるキャンプマーケットB区域の浄化期間は延長したとしても来年末で終了する。最適な工法を用いて浄化作業を行ったとしても少なくとも2年かかり、期限内に完了できないため、撤去は避けられないということで3者がコンセンサスを得たということだ。

 仁川市のキャンプマーケット課は本紙の電話取材に対し「9月に国防部、文化財庁、仁川市が集まって議論した結果、撤去を進める方向で意見がまとまった。撤去を防ぐにはあまりにも時間が差し迫っている」とし、「旧造兵廠病院のアーカイブ作業、建物の原型再現のための基礎設計作業を終え、壁の一部分の復元などは行う計画」だと述べた。

 市民団体は、撤去が避けられないということは否定していないが、撤去方針が確定した9月以降、仁川市が議論の状況をまったく公開していないことを問題視している。「密室での論議」とまで主張している。清渓川技術文化研究室のアン・グンチョル研究員は「この間、行政機関はかなり前から議論してきたのに、こういうことを市民社会団体と共有していない状態で撤去作業を進めた」とし、「関連内容を市民団体側と共有すべきだった」と語った。

 諸市民団体は、今後進められるキャンプマーケットD区域内の建物の処理でもこのような密室での論議が続けられるのではないかと懸念する。D区域には71棟の米軍の建物があり、このうち25棟は文化財庁が保存を勧告している。仁川大学地域人文情報融合研究所のイ・ヨンギョン責任研究員は「撤去か保存かをめぐって議論があった建物について、撤去が行われるまで(仁川市は)特に公示しなかった。このようなことがD区域でも起こる可能性がある。監視を続けることが必要だ」と述べた。これに対して仁川市は「D区域では旧造兵廠病院の轍を踏まないよう、汚染浄化の初期段階から保存策を考慮する」と述べた。

 旧日本軍造兵廠病院は日帝時代に朝鮮人の強制労役で建てられた。1945年の解放後、米軍と韓国軍もこの建物を病院として使用していた。朝鮮戦争中にほとんどが焼失し、現在は1棟(米軍が新たに建てたものを除く)のみが残っている。

上空から見た旧造兵廠病院=仁川市提供//ハンギョレ新聞社
イ・スンウク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/capital/1066280.html韓国語原文入力:2022-11-08 15:01
訳D.K

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