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謝りたい、会いたい、そして怒り…梨泰院惨事「生存者」Aさんの一週間

登録:2022-11-07 11:04 修正:2022-11-18 06:31
[インタビュー] 
「助けて」要請にも怖くて家に帰った…「私、生存者でしょうか」
6日、ソウル龍山区の緑沙平駅広場に設けられた梨泰院惨事犠牲者合同焼香所近くの心理支援相談ブース。龍山区は合同焼香所近くの心理支援相談ブースの運営を5日で終了し、8日から25日まで区役所近くで災害心理支援カフェを運営すると明らかにした/聯合ニュース

 「先生、こんにちは。私は生存者とはいえないかもしれません。(事故現場付近の)ワイキキ酒場の前で挟まっていたし、圧死事故のあった路地に流されていきそうになったのも事実ですが…(中略)10時40分ごろには『ああ、助かった。じゃあもうお酒を飲めるのかな』などと思ったりもしたので、惨事の生存者と分類されるのは違うような気がするんです」

 梨泰院(イテウォン)惨事から4日目の今月2日、「生存者」のAさん(32)はノートパソコンを開き、このような書き出しの文を書いた。先月29日の事故当時、圧死現場から脱出したAさんは、2日後、地域のメンタルヘルス福祉センターで「外傷後ストレス障害(PTSD)高危険群」という診断を受けた。惨事現場から一緒に抜け出して家に帰った友人とも、あの日以来連絡が途絶えていた。家族と離れて一人暮らしをしているAさんは、どうにかして自分自身を守らなければならなかった。

 「初めて電話して相談した韓国心理学会の先生が言ってました。カウンセリングの内容を多くの人と共有すれば、他の人の癒しにもなると。最初はSNSに載せようとしたけれど、知人が見たら負担に感じると思って、安全と思える非公開のオンラインコミュニティに掲載しました」。Aさんは6日、本紙の電話インタビューに応じた。毎日日記を書くというAさんは、一度は本を執筆した作家でもある。2日午前1時37分、オンラインコミュニティの「ソウルドレッサー」に「先生、私は惨事生存者でしょうか」という題の文章を載せた。6日までに11編の文がアップされ、これらは他のコミュニティにも広がり、「胸が痛むけど、必要な文だ」「連帯の力を感じた」など、多くの共感を呼び起こしている。

 Aさんは事故当日の29日夜、友人と一緒に梨泰院を訪れた。事故現場の近くの路上で仮装した人たちと写真を撮って遊んでいたが、ある瞬間人々の間に挟まり、友人を見失った。事故が起きた路地に巻き込まれる直前だった。足が地面に届かなかった。周りの市民の助けで欄干に引き上げられたのは午後10時40分。その後ドアを開けてくれた居酒屋に逃げ込むことができ、友人にも再会した。その時までAさんは状況が分からず、「もう大丈夫だ」と思って避難した居酒屋で30分ほど遊んでいた。その後、警察が統制を始め、人々が担架で運ばれていく間も、何のニュースも流れておらず、通信もまともにつながらなかったため、状況が分からなかった。事故地点から二村(イチョン)駅まで1時間歩いた頃、ようやく携帯電話の通知が相次いで鳴り始め、「どこにいるの」という母親からの電話がかかってきた。

 惨事の状況を知ったのは翌日のニュースを通じてだった。救出後に地面に横たわっていた女性や、助けてと叫んでいた友人の姿、心肺蘇生法(CPR)を手伝ってほしいという要請にもかかわらず、怖くて家に帰った自分に対する罪悪感がどんどん大きくなってきた。Aさんは親しい知人の勧めで、惨事翌日の午後、韓国心理学会に電話をして無料電話相談を受け、国家トラウマセンターの電話相談と地域のメンタル福祉センターの対面相談などを通じて、現在は精神科病院でカウンセリングを受けている。

 Aさんはこの1週間の心境の変化を、3つの言葉で表した。「謝りたい」、「会いたい」、そして「怒りを覚える」。惨事後、初期には事故当時の場面を繰り返し思い出し、何かに取りつかれたようにニュースを見続けた。罪悪感と自責の念が次第にひどくなった。事故の数日後、勇気を出して梨泰院を再び訪れた。梨泰院駅1番出口の前で献花した後、酒を注ぎ、2度お辞儀をした。用意してきた便箋に手紙を書いて貼った。そして心の中で誓った。「心から謝りたい。ごめんなさい。もっといい人になって、誰でも助けながら生きていきます」

 その後、会いたさがこみ上げてきた。路上で会った顔が一人また一人と浮かび、彼らは家に帰れただろうかと気になった。特に「緑のオモ二(母親)会」(児童の交通安全を守る活動をする警察庁所属の団体)の仮装をした6人の若い男性たちがしきりに思い出された。「緑のオモ二会の仮装をしていた人たちについて書いてから、奇跡的に彼らとSNSで連絡がつきました。みんな無事生きていました。彼らはその日それぞれ分かれて心肺蘇生法をしたそうです」。一安心できた瞬間だった。

 前より冷静に状況を眺めることができるようになると、怒りが湧き上がってきた。首相は記者会見で冗談を言い、行政安全部長官は責任を回避する発言をした。心に響く謝罪をした為政者は、誰もいなかった。「謝罪をしないということは、何が問題なのか分からないということで、結局今後も過ちを直せないということです。いや、もしかしたら責任を取らなきゃならない人たちは、いまだに犠牲者が遊んでいて死んだと思っているんじゃないでしょうか。何より、若い人たちがこれからは遊ぶことにも罪悪感を持つようになるんじゃないかと思い、より腹が立ちます。もっと『はっちゃけて』いいはずの年頃なのに」

 静かに傷ついている人たちに対しても共感を広げた。事故後「あのとき近くの飲み屋の店員らは何をしていたんだ」というような、事実かどうか不確かな言葉がメディアの報道やオンラインを通じて広がった。Aさんは、あの日近隣の商店街の全員が最善を尽くしたと述べた。「私がいた飲み屋の料理長さんは、玉ねぎを切っていた途中で修羅場になった外の様子を見てエプロン姿のまま飛び出していったし、ネットで攻撃を受けている飲み屋の店員もみんな怪我した人々を助けているのを見ました」

 Aさんは少しずつ日常を取り戻している。3日の夜、初めて眠りにつくことができ、翌日には出勤も始めた。切れた生活必需品を補充し、コーヒーを一杯淹れて飲み、散歩もした。「その日(3日)は一緒にいた友達から初めて連絡が来ました。共有していたアカウントのパスワードを聞いてきたんです。友達が『そのパスワード、かわいい。あなたみたいにかわいい』と言うから『それ、あなたが作ったものだよ』って返しました。その瞬間、ぷっと笑ってしまいました。本当に何でもない対話が、癒しになったんです」。まだあの日のことについては互いに話を交わすことができないが、Aさんは徐々に良くなると思っている。

 Aさんは、自分の経験が拡散されて、生存者をはじめ直接・間接的なトラウマを負った人たちがカウンセリングを積極的に受けるようになってほしいと語った。「死傷者はもちろんですが、生存者、目撃者から、この国家的災害を一緒に経験している市民まで。誰もが病んでいる状態だと思います。それぞれの地域ごとにカウンセリングをしてくれるメンタルヘルスセンターがあるので、気軽に一度カウンセリングを受けてほしい」。Aさんはカウンセリング治療が終わるまで、インターネットに記録を残す予定だ。

イ・ウヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1066011.html韓国語原文入力:2022-11-0708:48
訳C.M

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