国民の生命と安全を守らなければならない責任のある主体が、マニュアルの後ろに隠れた。中央政府も地方自治体も治安当局も同様だ。150人を超える人命が失われたが、「マニュアル上、仕方なかった」という言葉を繰り返すばかりだ。行政安全部が2021年3月に設けた「地域祝祭会場安全管理マニュアル」は、公共と民間が開催する地域の祭りにだけ適用されるものであるため、主催者のいないハロウィーンのイベントに政府と行政当局が介入する余地はなかったというものだ。大規模な社会的災害を不完全な規定とシステムの責任にし、主務機関に返ってくる責任を免れようとする官僚的無責任の典型だ。
マニュアルは、あくまで災害や安全事故が発生した場合の安定的かつ迅速な対処のために用意された行政指針だ。マニュアルがないということは、行政当局が危険状況に手を付けない理由にはできないという意味だ。「地域祝祭会場安全管理マニュアル」も「このマニュアルは、多様な地域の祭りの安全管理および事故予防のための参考資料であり、関連法令より優先することはできず、祝祭会場内の各種事故に対する法的責任を判断する基準にはなりえない」と明記している。
「マニュアル通りにした」というのも、何らかを行った時に通じる弁解だ。カトリック大学のシン・ヒョンギ教授(行政学)は1日、本紙の電話インタビューで「政府の作為による失敗はマニュアルに違反したかどうかを調べて責任を問うべきだが、今回の惨事のように政府が何もしない『不作為』による責任は、それ自体で責任を問わなければならない」と述べた。シン教授は「主催者がおらず、責任の空白が生じるのであれば、公共がインフラと政策でその空白を埋めなければならない。それが国家というもの」だと強調した。生命と安全を守るのは、法令やマニュアルがなくても国家が当然行わなければならない責務であるため、社会的災害に責任ある主体が「しないこと」に対しても強く責任を問わなければならないということだ。根深い官僚主義とマニュアル執着の盲点は、2011年の東日本大震災当時、日本社会でも指摘されたことがある。大震災以降、日本政府は、一刻を争う救助・支援現場でマニュアルに依存し対応が遅かったという非難を受けた。
「哀悼」を前面に掲げ責任を問うこと自体をタブー視する政権勢力の態度も、不信を強めている。与党「国民の力」はこの日、イ・サンミン行政安全部長官を国会所管の常任委員会に呼んだが、「国家哀悼期間の政争自制」を前面に出し、質疑応答自体を妨げた。「哀悼の時間」後に責任究明を先送りし、責任を論じること自体を「政治攻勢」の枠組みに入れて当惑させられる状況を免れようとする気配が歴然としている。中央大学のシン・ジヌク教授(社会学)は「政府が責任を負う態度を示さないという問題以上に、政府の責任に関する社会的討論自体を政治攻勢だと非難して抑圧し、祝祭の参加者や商店街の人々を調査するなどして事件を犯罪化することの方が、よりいっそう深刻な問題」だと述べた。これに先立ち、イ・サンミン長官は先月31日、ソウル市庁前の合同焼香所で「警察の正確な事故原因が出てくるまでは、中途半端な予測や推測、扇動性な政治的主張はしてはならない」と述べ、物議を醸した。