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植民地時代の独立闘士の「恨」が染みついた「慟哭のポプラ」、倒れた状態で保存へ

登録:2021-12-27 01:10 修正:2021-12-27 07:08
ソウル西大門刑務所歴史館 
保存処理を経て展示開始 
「歴史的な痛み、市民と分かち合うことに」
倒れた「慟哭のポプラ」。歴史館南側の刑場近くに立っていた。ソウル西大門刑務所歴史館が10月末、保存処理作業中に撮影=西大門刑務所歴史館提供//ハンギョレ新聞社

 1923年、日帝は西大門刑務所の南端にある刑場の近くにポプラを植えた。死刑宣告を受けた独立闘士たちが祖国の独立を遂に見ることなく、人生の最後の瞬間この木にすがりついて泣いたことから「慟哭のポプラ」と名付けられた。「恨(ハン)」の染みついたポプラの木が樹齢100年を前に台風で倒れたのは昨年のことだった。

 西大門刑務所歴史館は24日、倒れたポプラの木を消毒・保存処理し、常設展示として市民に公開すると発表した。ポプラの展示準備作業は10月末に始まり、今月23日には表示板の設置作業を終えた。西大門刑務所歴史館のパク・キョンモク館長は「ポプラをどうすべきか専門家や住民と議論し、倒れた姿をありのまま市民に公開して、刑場の歴史と痛みを分かち合うことにした」と述べた。

 木が立っていた西大門刑務所の刑場で生涯を終えた独立運動家は、宋学先(ソン・ハクソン)、厳舜奉(オム・スンボン)、蔡京鈺(チェ・ギョンオク)など。全国各地で独立運動を展開して死刑宣告を受け、西大門刑務所の刑場で生涯を終えた独立闘士は、400人あまりにのぼるという。1908年10月に開所した西大門刑務所は、ポプラが立っている間、1987年11月まで監獄として使用され、1998年11月に歴史館として生まれ変わった。

 慟哭のポプラは1本だけではなかった。今回展示されたポプラは、刑場の塀の「外」で生長した。刑場の中庭で、外の木と共に兄弟のように生長した木がもう1本あった。塀の外の木は季節が巡るたびに生い茂っていたのに対し、塀内の木はいつしか古木となり、2017年春にはとうとう枯れてしまった。しかし、日帝が植えたポプラが完全に消えたわけではない。パク館長は「幸い数年前に、元々あったポプラの根から自生した赤ちゃんポプラが育っている」とし「刑務所の持つ歴史を新たに受け継いでいっているかたち」と説明した。

ソン・ゴウン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/area/capital/1024816.html韓国語原文入力:2021-12-26 17:30
訳D.K

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