「数日前に死亡した全斗煥(チョン・ドゥファン)氏が、新たな権力として登場するためにいろいろなことを企んでいることを知り、これを暴露するためにデモを主導しました」
被告人席に座ったキム・ギュボク牧師(69)の声が法廷に響いた。震える声とは違い、目は淡々と正面を見つめていた彼が言葉を続けた。「(当時受けた処罰は)恥ずかしくありません。いつでもそのような状況に陥れば同じことをするでしょう」
大田(テジョン)地裁刑事8単独のチャ・ジュヒ部長判事は25日午前、大田荒野(ビンドゥル)教会のキム・ギュボク元担任牧師の戒厳法・布告令違反罪の再審公判を開いた。
キム牧師は1971年、延世大学に入学し学生運動を主導して逮捕され、激しい拷問を受けた後、強制徴集された。1979年12月に復学した彼は、翌年5月にソウルで「全斗煥が軍部を掌握し、現政権を踏みにじって新しい権力として登場しようとしている。全斗煥は退け」という内容の「国民に送る言葉」が書かれた印刷物を約1万部作り、延世大学生約1千人のデモを率いた。指名手配されたキムさんは6月、遅れて光州5・18民主化運動のニュースを聞き、各大学の指導部と都心デモを計画したが実現せず、10月に警察に検挙された。1981年1月24日、軍法会議で戒厳法・布告令違反などの疑いで懲役3年、執行猶予5年の宣告を受けた。
キム牧師は出所後、大田にわたって大田神学大学と長老教神学大学で勉強し、大田大和工業団地の真ん中で産業宣教に携わった。その後、荒野教会を設立。貧民と移住労働者、環境・平和運動に献身してきた歳月は約30年となった。
今年3月、大田地検は職権で「5・18民主化運動等に関する特別法」に定められた特別再審条項に基づき、キム牧師の再審を請求し、10月21日、大田地裁は「5・18民主化運動等に関する特別法による再審事由に該当する」として再審を決定した。
この日の再審公判で、淡々と「後悔なきあの日」を語ったキム牧師は、10年ほど前からパーキンソン病を患っている。朴正煕(パク・チョンヒ)軍部独裁に対抗して警察に捕まって受けた拷問の後遺症だ。
キム牧師にとっても全斗煥氏の死は、心の傷を再びえぐる大きな衝撃だった。
「反省しない全氏の末裔たちが今も勢力を伸ばし、既得権益を守ろうとねばっていて、新しい時代を望む人々の意志をくじいています。全氏が死んだから残存勢力もこれからは力を失うと思います」
この日の裁判後、本紙と会ったキム牧師は「80年5月の光州の現場を共にすることができなかった悔しさと申し訳なさで、生涯を光州市民に借りがある気持ちで生きてきた」と言い、「全氏の死は、中途半端な反省よりも真の過去清算が私たちの使命であることを気づかせてくれたようだ」と述べた。キム牧師の再審宣告公判は、12月9日に開かれる。