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12・12軍事クーデター、光州民主化運動鎮圧…盧泰愚元大統領が死去

登録:2021-10-27 09:37 修正:2021-10-27 10:17
盧泰愚大統領が1988年7月7日、「民族の自尊と繁栄のための大統領特別宣言(7・7宣言)」を発表している=国家記録院//ハンギョレ新聞社

 全斗煥(チョン・ドゥファン)氏(90)とともに12・12軍事クーデターを主導した盧泰愚(ノ・テウ)元大統領(第13代)が26日に死去した。享年89。

 気管支疾患や小脳萎縮症などで約10年間闘病生活を続けてきた盧泰愚氏は、同日午後、病状が急激に悪化し、ソウル蓮建洞(ヨンゴンドン)のソウル大学病院救急室に搬送され、病院到着から1時間後の午後1時46分に息を引き取った。盧氏が死去したこの日は、奇遇にも新軍部勢力が権力を握るきっかけとなった10・26事件(朴正煕暗殺事件)から42年目となる日だった。

 1932年12月4日、慶尚北道達城郡(タルソングン、現・大邱)で生まれた盧泰愚氏は、慶北高校と陸軍士官学校を卒業した後、1955年に少尉に任官した。陸士11期同期の全斗煥氏とともに軍部内の私組織「ハナ会」を結成して勢力を拡大し、1979年10月26日、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領がキム・ジェギュ中央情報部長によって殺害されると、同年12月12日、全氏と共に軍事クーデターを起こして実権を握った。その後、ナンバー2として君臨し、保安司令官、体育部・内務部長官、第12代国会議員、民主正義党代表を務めた。1987年6月、大統領直接選挙制の改憲などを求める民主抗争が続くと、民政党の大統領選候補として6・29宣言を通じて直接選挙制改憲を受け入れた。金泳三(キム・ヨンサム)・金大中(キム・デジュン)両氏の分裂の中で行われた同年12月の大統領選挙で、第13代大統領に当選した。

 12・12軍事クーデターを主導し、1980年5・18光州(クァンジュ)民主化運動流血鎮圧に関与し、「全斗煥の後継者」として大統領になった盧氏に対する歴史的評価は冷たい。ただ、大統領在任時代に推進した北方外交や南北の国連同時加盟、第5共和国(1981年3月から1988年2月までの政治体制)聴聞会開催などは、比較的肯定的な評価を受けている。

 大統領退任後の1995年11月、秘密資金事件で拘束された盧氏は全氏とともに裁判にかけられ、1997年4月、最高裁(大法院)で内乱罪などで懲役17年、追徴金2688億ウォン(約260億円)が確定した。同年12月、退任を控えた金泳三大統領の恩赦措置で復権した。盧氏は全氏と違って2013年に追徴金の全額を納付した。息子のノ・ジェホン東アジア文化センター院長は、病床に寝たきりになった盧氏に代わり2019年から今年まで5回にわたり光州を訪れ、5・18流血鎮圧に対し謝罪し、5・18民主墓地を参拝した。

 遺族は妻のキム・オクスクさん、娘のソヨンさん、息子のジェホンさん。葬儀室は27日、ソウル大学病院の葬儀場に設けられる予定だ。

イ・スンジュン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1016661.html韓国語原文入力:2021-10-27 02:35
訳C.M

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