第13代大統領を務めた盧泰愚(ノ・テウ)氏が26日、持病で死亡した。大統領在任当時、北方外交や南北関係などで少なからぬ貢献をしたが、心安らかに追悼できないのは、新軍部による12・12権力収奪や5・18光州(クァンジュ)市民虐殺など、全斗煥(チョン・ドゥファン)独裁政権当時に彼が犯した罪があまりにも大きいからだ。この他にも、中途半端だった第5共和国(1981年3月から1988年2月までの政治体制)の清算や、天文学的な規模の裏金造成なども、汚点として記録されている。
もちろん、彼が在任期間中に世界的な脱冷戦傾向に合わせ、北方外交と南北関係で新たな地平を開いたことは、否定できない功績だ。何より、1988年の7・7宣言(民族自尊と統一繁栄のための特別宣言)とともに始まったソ連や中国などの共産主義国との国交正常化、1991年の南北基本合意書の締結と南北朝鮮の国連同時加入などは、彼の決断がなければ容易ではなかったことだ。土地公共概念制の導入と大規模な住宅供給により、庶民生活の安定と中流階級の拡大を図ったことも、評価できる点だ。同じ軍人出身であっても、前任者の全斗換元大統領とは違った融和的なスタイルは、韓国社会の脱権威主義化と文民政府発足にも一定部分貢献したという評価を受けている。赦免後に示した行動も、全斗換元大統領とは全く違った。追徴金の納付を拒否し、忘れた頃に妄言を繰り返してきた全斗換元大統領とは対照的に、外部活動を控え自ら慎む姿を示した。裁判所が宣告した追徴金も2013年に完納した。
しかし、韓国現代史に彼が落とした濃厚な影は、このような肯定的な評価を差し引いても余りある。何より、新軍部の実力者として自らも責任が重い1980年5月の虐殺について、彼は光州市民と国民に一度も直接謝罪しなかった。2011年に出版した『盧泰愚回顧録』では、5・18民主化運動について「光州市民がデマに誘惑されたのが事態の原因だった」と主張さえした。息子のジェホン氏が2019年以後、何回も光州を訪れて被害者と遺族に謝罪したが、「代理謝罪」では完全な許しを請うことはできない。
政界の一部や社会の一端には、在任期間の成果と国民統合の必要性を挙げ、彼の葬儀を国葬で行い、国立墓地に埋葬しようという主張が持ち上がっている雰囲気がある。決してあってはならないことだ。和解と赦しは、完全な反省と謝罪のうえでのみ可能だという事実を、全斗換元大統領の事例を通じて我々は明確に見ている。今はただ、「自然人・盧泰愚氏」の死を静かに哀悼すれば良いことだ。