1945年、植民地解放後に窮乏生活を送っていた光州(クァンジュ)地域の独立有功者は、1970年代に政府の支援で光州市南区の珠月洞(チュウォルドン)の「光復(解放)村」に集まって暮らすことができた。だが、生活が苦しかった一部の独立有功者は、住宅を配分されても融資と自己負担が心配で人に貸したり売ってしまい、光復村は次第に失われていった。
光州広域市の南区が光復村跡に功績碑石を立て、独立運動家たちの精神を賛えることにした。
南区は24日、「珠月洞の光復村の由来とそこに暮らした独立運動家の功績を知らせるために、26日、珠月洞プルン道の光復村広場に光復村の由来碑と独立運動功績碑を立てる」と明らかにした。
今回の行事は、珠月1洞に暮らすある住民が「光復村を賛えよう」と提案して推進された。南区は、光復村と独立有功者に関する史料調査と委託研究を経て功績碑を準備した。
委託研究報告書によれば、光復村は1976年に金堂山の山裾と旧慶全線鉄道が敷かれたプルン道公園の間に造成された。当時、政府は光復村造成のための広い土地が必要で、ほとんどが水田と畑だった珠月洞を選択したという。光復村には、イタリア建築様式を帯びた住宅12戸(各80平方メートル)が建てられた。住宅を作る費用200万ウォンのうち政府が50万ウォンを支援し、100万ウォンは融資、50万ウォンは自己負担だった。当時としては高級住宅に分類され、生活が苦しい一部の独立有功者は、建築費用の負担に耐えられず他人に売ることもあった。
光復村に暮らした独立有功者は、光復軍と臨時政府の間の連絡活動をしたチェ・ボンジン氏をはじめとし、光州学生独立運動に参加したユン・チャンハ、ソン・ドンシク、チョ・キルリョン氏などだった。また、韓末の義兵長であるシム・ナムイル氏と日帝抵抗秘密結社「茶革党」を組織したイ・ホンビン氏、3・1万歳運動で投獄されたキム・ドンフン氏の子孫も光復村で一緒に生活した。
現在、光復村跡にはユン・チャンハ氏の住宅が唯一保存されている。
南区の関係者は「功績碑を通じて光州市民が光復村に暮らした独立有功者の業績を記憶し、その精神を学ぶよう願う」と話した。