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「最後の肉声かも」…日本植民地時代の国外強制動員被害者の証言集が刊行

登録:2021-02-27 03:36 修正:2021-02-27 07:40
勤労挺身隊市民の会「7人が本の出る前に亡くなった」
「勤労挺身隊ハルモニとともにする市民の会」が発行した強制動員記録証言集『空腹で殴られながらも白く咲くいばらの花をなめた』。写真は、同書が出る前に亡くなったキム・オゴンさん=市民の会提供//ハンギョレ新聞社

 日帝強占期(日本の植民地時代)に光州(クァンジュ)・全羅南道地域から国外へ強制徴兵・徴用された被害者の生々しい証言を集めた証言集が出版された。

 「勤労挺身隊ハルモニとともにする市民の会」は26日、強制動員記録証言集『空腹で殴られながらも白く咲くいばらの花をなめた』(メディアミン、全338ページ)を出版したことを発表した。同書のタイトルはクォン・チャンニョルさんの証言から取られたもの。「アカシアの花は3月になると白く咲くんだ。…行ってそれを舐めるために。殴られながらも仕事に行かずにそれを舐めるために。ああ、それだけでも舐められたから生きたという気がするんだ」(クォン・チャンニョル)。

 証言集には、1942~1945年に軍人(8人)、軍属(8人)、労務者(9人)、女子勤労挺身隊(6人)として強制動員された被害者31人の痛みと人生の歩みが生々しく描かれている。31人の強制動員被害者は男性が25人、女性が6人で、被害者の中ではチョ・ジュホさんが1922年生まれで最年長、オ・ヨンイムさんが1936年生まれで最年少だ。

 彼らは、1941年からの太平洋戦争で戦線が拡大して以降、戦争に動員する労働力の不足が深刻となった日本が、1942年に朝鮮人の連行方式を募集から官斡旋に変更し、大々的に動員を行った時期に被害を受けた。特に戦争終盤の1944年4月には徴兵令が施行され、朝鮮青年は「弾除け」として連行された。8月には国民徴用令、女子勤労挺身隊令などが施行されたことで、朝鮮人の青壮年から幼い少女までもが連行された。

強制動員記録証言集『空腹で殴られながらも白く咲くいばらの花をなめた』の表紙=市民の会提供//ハンギョレ新聞社

 当時、強制動員の被害者たちは、戦場や強制動員地に連行され、空腹と空襲の恐怖の中でうめき、強制労働に苦しんだ。徴兵された8人は、ほとんどが1944年の徴兵制施行初年度に満20歳となった人々だ。彼らは徴兵令状を受け取り、日本、中国、台湾、フィリピン、ベトナムなどの戦場に投入された。軍属として動員された8人は東京、鹿児島、沖縄、名古屋などの軍事施設をはじめ、南洋群島にまで連行された。労務者として動員された9人は炭鉱(3人)、軍需会社(4人)、防空壕の工事現場で、あるいは農作業補助労務者として強制労働させられた。6人の女子勤労者挺身隊のうち3人は、愛知県の三菱重工業名古屋航空機製作所に、2人は富山県の不二越鋼材に動員された。残りの1人は、満州の奉天にある南満紡績の工場に連行された。

勤労挺身隊生存者のヤン・クムドクさん=資料写真//ハンギョレ新聞社

 口述証言には、徴兵検査で第2乙種と判定され徴兵免除対象者だったにもかかわらず徴兵されたイ・ギョンソクさん、結婚半月後に令状が送られてきたチェ・ヨンギュンさんなど、やるせないエピソードが多い。「日本に行けば勉強もさせてやるし、金も稼げるようにしてやる」との言葉に騙されて連れて行かれたヤン・クムドクさん、「日本に行けば飯も腹いっぱい食べさせてくれるし、勉強もさせてくれる」との言葉に騙されたキム・ジェリムさんらの証言も掲載されている。証言集は、光州市の支援により、市民の会が2018年から2019年にかけて光州・全羅南道の強制動員生存被害者31人を訪ね、聴取した口述採録資料をまとめたもの。

 証言集に記録された被害者のうち、チョン・ユハン、キム・オゴン、チョ・ジュホ、チョン・ホンイル、ナム・ジョンノ、クォン・チュンフン、クァク・オンナムの7人の被害者は、同書が完成するのを見ることなく惜しくもこの世を去った。市民の会のイ・グゴン常任代表は「1000ページを超える膨大な口述資料を、一般の読者が読みやすいように再整理した。現在、被害者が高齢で亡くなったり、病気などで証言が難しいことを考慮すれば、今回の証言集は肉声による最後の証言となる可能性が高い」と述べた。

チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
http://www.hani.co.kr/arti/area/honam/984649.html韓国語原文入力:2021-02-26 11:24
訳D.K

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