日帝強制占領期(日本の植民地時代)に強制徴用された朝鮮人労働者の合宿所として使われた仁川市の「三菱長屋社宅」が、歴史教育の場として保存される可能性が開かれた。文化財庁が市民の保存要求に応え、「時代的苦痛を忘れないための近代文化遺産」として、その保存を勧告したところ、地方自治体がすぐに撤去計画の再検討に入ったためだ。
25日、仁川市富平区(プピョング)などの説明を総合すると、文化財庁は今月13日に仁川市と富平区に「三菱長屋社宅」の保存協力を要請する公文書を送った。文化財庁は公文書で「三菱長屋社宅は、日帝強制占領期に強制徴用された労働者の実状が保存された歴史的な場所であり、時代的苦痛を忘れないための空間として保存および活用の方法の摸索が必要な近代文化遺産」だと説明した。さらに「撤去の危機に対し市民団体などから持続的に保存要請があった。文化財保護法により文化財登録などを検討し、大切な近代文化遺産がそのまま保存され、歴史教育の場として活用されて後世に伝えられるよう格別な協力」を要請した。
三菱長屋社宅は1938年、日帝強制占領期に軍需物資工場だった三菱重工業に強制動員された朝鮮人労働者の合宿所として建てられた。小さな住宅が長屋式に連立しているため「長屋社宅」と呼ばれた。長屋社宅数十棟のうち現在は4棟だけが残っていて、居住していた人々は全員移住している。
80年余りの歳月が流れる間に、老朽化した住宅が仁川中心部の一角に場を占めることとなり「都市の美観をはじめ住居環境にも悪い影響がある」という近隣住民の撤去嘆願が相次いだ。区は長屋社宅を順次撤去し、公営駐車場など住民の便宜施設の造成を推進中だ。これに対して地域市民団体や仁川の高校生などが長屋社宅を活用した記念館を作ってほしいという嘆願を区や文化財庁などに提起し、保存を要求する声を上げた。
地域社会の要求を反映した今回の文化財庁の保存勧告により、駐車場を作るための富平区の撤去計画にはひとまずストップした。区の関係者は「地域住民、専門家、関連部署の意見を総合的に取りまとめ、保存の可否や計画の修正を検討する」と話した。