米国務省がジョー・バイデン政権発足初日の20日、北朝鮮核問題に精通するソン・キム駐インドネシア米国大使を、東アジア問題全般を担当する東アジア太平洋担当次官補代行に任命したことが確認され、その背景と影響に関心が集まっている。キム大使はトランプ政権が情熱的に推進していた北朝鮮の核交渉にも深く関与していただけに、バイデン政権が公に明らかにした北朝鮮核問題の政策検討過程に一層はずみがつくものだと見られる。
バイデン政権の主要な関係者らは、米国の外交の“最大の難問”の一つである北朝鮮核問題をどう解決していくのかについて、「過去の政策に対する見直しを行うだろう」という原則のみを公開しただけで、具体的な言及は控えている。国務長官に指名されたアントニー・ブリンケン氏は19日の上院承認公聴会で「韓国や日本などの同盟国とすべての案を検討するだろう」と明らかにし、ホワイトハウスのジェン・サキ報道官も22日の会見で「私たちは、米国人と私たちの同盟を安全に守るために新たな戦略を取り入れる。そのアプローチは、韓国や日本と相談し、徹底的な政策の見直しを行うことから始まるだろう」と述べた。問題は見直しの“速度”と“方向”だ。
そのような意味でソン・キム大使の抜擢は、バイデン政権の北朝鮮に対する動きに関連し、相当な含みを持つものだとみられる。ソン・キム大使は、オバマ政権時代には北朝鮮核問題担当特使と6カ国協議首席代表を歴任した北朝鮮核問題の専門家であるうえ、しばらく公職から外れていたブリンケン国務長官指名者やウェンディ・シャーマン副長官指名者、カート・キャンベル国家安全保障会議(NSC)インド太平洋調整官らと異なり、トランプ政権時代も北朝鮮核問題の交渉の真っただ中にいた。特に、2018年6月12日にシンガポールで開かれた第1回朝米首脳会談の議題を論議するための5月末の板門店(パンムンジョム)実務者協議で、“鉄壁”のチェ・ソンヒ北朝鮮外務省副局長を相手にし、“歴史的”なシンガポール会談の際も現場を見守った。
以後、キム大使はマイク・ポンペオ前国務長官の7月6~7日の第3回訪朝時も平壌に同行し、キム・ヨンチョル労働党副委員長兼統一戦線部長(当時)と朝米高官級協議に臨んだ。当時、非核化の第一歩として核施設などの「申告」を要求するポンペオ氏に対し、キム・ヨンチョル氏は携帯電話を投げつけ、「トランプに電話しろ。トランプならそのように言わないだろう」と声を張りあげたと伝えられている。ポンペオ氏らが平壌を去った直後、北朝鮮外務省報道官は朝鮮中央通信を通じ、ポンペオ氏が「強盗のような非核化要求だけを持ってきた」と宣言した。
キム大使は8月にスティーブン・ビーガン氏が対北朝鮮政策特別代表に任命された後、北朝鮮との実務交渉から外されるが、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が朝米対話の出発点にすれば良いと明らかにした「シンガポール共同宣言」については交渉実務者だっただけに、ソ・フン大統領府国家安保室長やチョン・ウィヨン外交部長官候補者などの韓国の主要関係者らと同じぐらい、その意味と限界を深く理解しているものだとみられる。すなわち、キム大使の登板により、バイデン政権は北朝鮮核問題について急いで解決策を用意しなければならない外交課題だと判断しており、政策見直しの速度も速まるだろうという予測が可能になったわけだ。さらに、韓国系であるキム大使は韓国語を母国語のように使うことができ、韓国と深みのある意思疎通が可能だ。しかし、キム大使が「代行」の札をはずし、正式に東アジア太平洋次官補として実際の政策を執行するようになるかは、もう少し見守らなければならない。
問題は、バイデン政権の対北朝鮮政策の“方向”が、文在寅大統領の考えとどの程度一致するかだ。果敢に「朝鮮半島平和プロセス」を再稼動し、目に見える成果を出そうとする“任期末”の文在寅政権と異なり、バイデン政権は過去のオバマ・トランプ両政権で度重なった失敗を繰り返さないために、極めて慎重にアプローチするものだとみられるからだ。特に、米国の外交官としてシンガポール会談の直後に平壌で「朝鮮半島非核化」に対する北朝鮮の独特なアプローチを直接確認したキム大使の考えは、韓国側の関係者と異ならざるをえない。場合によっては、最高の世話役になってくれることを期待した人物が、最悪の障害物になることもありうる。