北朝鮮は重要な節目ごとに「実践の意志」を示すための方策として「爆破」を選択してきた。建物が一瞬にして灰となるスペクタクルを演出することで、対外的に強烈なメッセージを伝えてきたのだ。
2006年10月に1回目の核実験を行った北朝鮮は、米国と交渉を行なった末、米国がテロ支援国家指定を解除すれば原子炉の冷却塔を破壊することに同意した。2008年6月27日午後5時5分には、実際に平安北道寧辺郡(ヨンビョングン)にある原子炉冷却塔を爆破し、核の不能化の意思を国際社会に伝えた。しかし、追加検証の時期と方法をめぐり対立し、結局北朝鮮は寧辺核施設を復旧し、2009年5月に2回目の核実験を強行した。
二度目の爆破は、2018年5月24日に咸鏡北道吉州郡豊渓里(キルチュグン・プンゲリ)の核実験場で行われた。当時、北朝鮮は核実験場の坑道や観測所などを爆破し、これが核軍縮努力の延長線上にあることを強調した。
先の二度の「爆破イベント」が、たとえ一時的であったとはいえ、朝鮮半島の平和に向けた旅程だったとすれば、16日の開城(ケソン)南北共同連絡事務所の爆破は正反対の意味を持つ。朝米対話が途絶え、南北関係が硬直化する厳しい状況の中にあっても、辛うじて守られてきた信頼を壊す破壊的行為に他ならなかった。