「昨日一日、大邱では追加感染者が一人も発生しませんでした」
17日、チェ・ホンホ大邱(テグ)市行政副市長は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)定例会見で、このように述べました。同日0時現在、大邱のCOVID-19累積感染者は6827人です。このうち5626人(82.4%)は完治判定を受け、帰宅した「隔離解除者」です。大邱の隔離解除の割合は全国平均(73.6%)より10ポイント近く高いです。病院や生活治療センターにはまだ1042人(15.3%)が残っています。残りの159人はCOVID-19で惜しくも亡くなった感染者です。
こんにちは。大邱で取材しているキム・イルです。2月18日、大邱では初の感染者がが出たのを皮切りに、毎日数百人の感染者が増えました。ピークは一日の新規感染者が741人に達した2月29日でした。その後、新規診断者は先月7日からは二桁、今月8日からは一桁にとどまっています。新規感染者がいない日もあります。2月25日、「大邱封鎖」(ホン・イクピョ元共に民主党首席スポークスマン)まで取り沙汰されたのが嘘であるかのような変わり様です。
大邱が安定を取り戻しつつあるのは、全ての関係者のおかげです。中央政府と地方政府の公務員は睡眠時間を削って、COVID-19の感染拡大を食い止めるために力を尽くしました。全国から駆けつけた数千人の医療陣が大邱の医療陣と共に感染者の治療に当たりました。他の地方政府でも先を争って大邱の感染者を受け入れる方針を発表しました。全国各地から救援品や生活必需品など、救援の手が届きました。特に、大邱への支援に尽力した光州(クァンジュ)の記憶は、長い間、大邱市民の心の中に残るはずです。
大邱では二度にわたるヤマ場がありました。最初のヤマ場は、感染拡大の震源地だった新天地イエス教会事態でした。初期には新天地信者10人を検査すると、8人が陽性反応を示しました。大邱市は、1万人を超える大邱の新天地信者を一人も欠かさず、全数検査を行いました。新天地信者1万人を探し出し、全数検査を行って、隔離するまで、1カ月もかかりませんでした。大邱の累積感染者のうち、新天地の信者は4259人(62.4%)です。
二度目のヤマ場は患者の治療問題でした。大邱市は当初感染者を病院に入院させて治療しましたが、すぐに病床が埋まってしまいました。自宅で病床が空くのを待つ感染者が2千人に迫りました。彼らはまともな治療を受けるどころか、家族への感染拡大を心配しながら、不安な日々を過ごしました。これを受け、韓国政府と大邱市は先月1日、特段の対策を打ち出しました。宿泊施設を生活治療センターにし、軽症の感染者を収容することでした。おかげで、自宅待機を余儀なくされる感染者は急激に減りました。
大邱で今回の事態を経験しながら、これまで否定的に見ていた“保守性”と“閉鎖性”について改めて考えさせられました。大邱という都市の特性です。保守的な大邱市民は官に協力的な態度を持っています。大邱市の外出自粛要請が出た直後から、大邱が幽霊都市に変わった理由です。先月第1週の大邱の市内バスと都市鉄道の利用客は、それぞれ普段の31.8%と25.4%まで落ち込みました。同期間、大邱の高速市外バスと鉄道の利用客もそれぞれ普段の5.2パーセントと10.4パーセントに急減しました。自宅周辺に生活治療センターが設けられても、住民は反発しませんでした。大型スーパーで激しい買いだめ現象も見られませんでした。大邱市民は驚くほど落ち着いていました。
大邱に住んでいる人のほとんどは大邱や慶尚北道、慶尚南道など周辺地域の出身です。観光客や訪問客もあまりいない閉鎖的な都市です。その中で大邱市民は“広く”暮らしている方です。大邱の面積は883平方キロメートルで、ソウル(605平方キロメートル)より大きいのですが、大邱には243万人、ソウルには973万人が住んでいます。大邱の人口密集度はソウルの6分の1しかありません。大邱ではなく、ソウルでこのような出来事が起きたら、被害はさらに大きかったはずです。
公共医療についても考えるきっかけになりました。大邱には保健福祉部が指定した上級総合病院が5カ所もあります。全国6つの広域市の中で最も多い数です。しかし、5日現在、大邱で最も多くの感染者が入院した病院は、大邱市が運営する大邱医療院です。光州や大田(テジョン)などにはない地方医療院です。2010年3月、保健福祉部傘下の公共機関である大韓赤十字社が大邱赤十字病院を赤字などの理由で閉鎖しました。今となっては悔やまれる措置です。
キム・イル全国部記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)