本文に移動

[ニュース分析]国会議員の選挙区世襲批判

登録:2020-01-18 03:49 修正:2020-01-18 07:34
ヨイドでは「親の七光り」通用する? 
 
制憲議会から第20代国会まで 
「家族議員」70組誕生 
親子関係が37組で最多 
 
ムン・ヒサン議長の息子出馬に 
「選挙区の世襲」批判 
現役の父の選挙区に 
直行する事例はまれ 
 
「有権者の選択」強調するが 
「七光り効果」で不公正競争

 ソウル汝矣島(ヨイド)の国会憲政記念館に入ると、ロビーの両側の壁に「国会珍記録館」がある。左側の展示は最年少・最高齢議員、最も長い発言をした議員、最初の帰化人国会議員など、珍しい履歴を紹介したものだ。右側の壁を埋め尽くす展示は「国会議員家族当選記録」だ。制憲議会から第20代国会まで「父子国会議員」(父娘、母子、母娘も含む)と題し、計47家族にもなる。一部は家族写真とともに展示してある。これとは別に「夫婦国会議員」が9組、「兄弟国会議員」が14組いる。「初」の事例や「連続12回当選」「三兄弟」などの特異なケースは、他の色で目立つようしてある。家族の政治的資産を共有した国会議員が少なくないことを一目で分かるようにした展示というわけだ。しかし、国会議員としての議政活動の展示ではなく、「家門の栄光」であるかのような展示の方式には首をかしげる。

国会憲政記念館の珍記録館に展示された「国会議員家族当選記録」//ハンギョレ新聞社

 ムン・ヒサン国会議長の息子ムン・ソッキュン氏(49)が、父親が6選を果たした選挙区に出馬しようとしていることをめぐって、世襲をめぐる批判がやまない。有力政治家である父親の「政治資産」を活用し、権力を簡単に継承しようとしているという批判に対し、ムン氏は「選出職を世襲と言うのは公党と地域住民に対する侮辱」と反論する。入試や就職などに親の経済・文化資本があからさまに影響するように、政治においても「親の七光り」は通用するのだろうか。前職・現職議員の事例から見てみた。

父子国会議員37組、父娘国会議員5組

 国会珍記録館や中央選挙管理委員会の選挙情報などによると、制憲国会後「父子国会議員」は37組、「父娘国会議員」は5組の事例がある。「母子国会議員」はたった一例(13代ト・ヨンシム‐19代イ・ジェヨン)だ。舅と嫁(4選キム・テホ‐3選イ・ヘフン)もいて、祖父が国会議員だったケースも3人(20代キム・ヒョンミ、イ・サンドン、19代ユ・ギホン)いる。現役議員の中には国会議員だった父親を持つ者が選挙区で10人、比例代表で3人いる。

 ムン議長父子のケースが特に物議を醸しているのは、現役国会議員の父親の選挙区をそのまま受け継いだ先例があまりないからだ。自由韓国党のチョン・ジンソク議員(当選4回)がその珍しいケースだ。父チョン・ソンモ元議員は朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代に江原道と忠清南道の知事を務め、第10代総選挙に忠清南道公州(コンジュ)から出馬し当選。第15代まで連続6回の当選(比例代表2回含む)を果たした。チョン議員は、父親の引退を受けて第16代総選挙に忠清南道公州・燕岐(ヨンギ)選挙区から出馬。当選を果たした。チョン議員の国会事務総長時代に作られた国会珍記録館に「連続9回当選家族」として紹介されている。

 こうした「世襲公認」は落選につながるケースもあった。第19代総選挙で、イ・ヨンヒ前議員(5選)は息子イ・ジェハン氏に選挙区を譲るために所属する党まで替えた。彼の選挙区である忠清北道南部3郡(報恩(ポウン)沃川(オクチョン)永同(ヨンドン))は「イ・ヨンヒ共和国」と呼ばれるほど彼の影響力が絶大なところだった。ハンナラ党が大勝した2006年の地方選挙でも、この3郡ではすべて彼の所属政党(開かれたウリ党)の候補が当選した。彼は2008年の第18代総選挙で党公認から外れると、自由先進党から出馬し当選。2010年の地方選挙でも先進党候補を大量当選させた。しかし、息子が第19代総選挙を前に民主党に入党すると、自分の選挙区の先進党所属の自治体首長や地方議員たちを率いて民主党に戻り、世襲政治という批判を受けた。息子は民主党の公認を受けたが、第19代、20代総選挙で相次いで落選した。

 チョン・ホジュン前議員(19代)も父親のチョン・デチョル元議員(5選)からソウル中区(チュング)選挙区を受け継いだ。初出馬だった第17代総選挙では落選し、18代の時は戦略公認に押し出されて公認も得られなかった。ソウル中区は第2代から9代まで8選を果たした彼の祖父チョン・イルヒョン元議員の選挙区でもある。イルヒョン元議員は維新反対活動で拘束され議員職を失うと、息子のチョン・デチョル元議員が補欠選挙に出馬して当選した。同一選挙区で3代続いたことで世襲批判が起こったケースだ。

 父親の選挙区で当選したケースは第20代現役議員の中にも数例見られる。韓国党のキム・セヨン議員(当選3回)は父のキム・ジンジェ元議員が5選を果たした釜山金井区(クムジョング)で議員バッジをつけた。キム元議員は第16代の在任中に死去し、息子のキム議員は第18代総選挙で当選した。政治家としては新人だったにもかかわらず、彼はハンナラ党の公認からはずれ無所属で出馬して64.76%という高い得票率を記録した。

 共に民主党のノ・ウンネ議員(当選3回)とその父ノ・スンファン元議員は「麻浦(マポ)父子」だ。ノ・スンファン元議員は1971年から2002年まで30年あまりの間、ソウル麻浦で国会議員当選5回に国会副議長、民選1・2期麻浦区長を務めた。ノ・ウンネ議員は2004年の第17代総選挙で、麻浦甲(選挙区の名)から出馬し初当選した。

 自由韓国党のチョン・ウテク議員(4回)は第15代総選挙の時、父のチョン・ウンガプ元議員(4、7~10代)の故郷であり選挙区だった忠清北道鎮川(チンチョン)で初当選した。チャン・ジェウォン議員(再選、釜山沙上区(ササング))は父のチャン・ソンマン元国会副議長(11、12代)の選挙区で第18代の時に初当選。ウリ共和党のホン・ムンジョン議員(4回)も父ホン・ウジュン元議員(11、12代)の選挙区である京畿道議政府(ウィジョンブ)で第15代総選挙から出馬し続けている。

 新しい保守党のユ・スンミン議員(4回)の選挙区は、父ユ・スホ元議員の再選の地、大邱中区(テグ・チュング)に近い大邱東区(トング)乙だ。共に民主党の新人キム・ヨンホ議員は、当選6回の父キム・サンヒョン元議員の選挙区だったソウル西大門(ソデムン)甲で第17代総選挙に出馬し、落選した。以降は選挙区を西大門乙に移し、4回目の挑戦で初当選した。

 この他に「父子議員」としては韓国党のイ・ジョング議員(3回、ソウル江南(カンナム)甲)とイ・ジュンジェ元議員(6回)、キム・ムソン議員(6回、釜山中区影島区(ヨンドグ))とキム・ヨンジュ前議員(1回)がいる。比例代表では、代案新党のチャン・ジョンスク議員とチャン・ヨンスン元議員(4回)、正しい未来党のキム・スミン議員とキム・ヒョンベ元議員(1回)が「父娘議員」で、韓国党のキム・ジョンソク議員とキム・セベ元議員(3回)父子もいる。

ムン・ヒサン国会議長が国会議長室で考え込んでいる=カン・チャングァン先任記者//ハンギョレ新聞社

ムン・ヒサン議長の息子が受ける七光り

 ムン・ソッキュン氏は「選挙区世襲」という批判にもかかわらず、11日に議政府市の信韓大学で自らの著書『あの家の息子』のブックコンサートを開いた。事実上の総選挙出馬式となるこの席で、ムン氏は「父の道を歩むが、『親の七光り』は断固拒否する」と語った。公認と当落は政党と有権者が判断することだというのだ。また、「誰よりも父親の長い政治人生を最も近くで見て学び、体得した」とし、書店運営の経験をもとに小商工業者のための法律を作ると主張した。

 ムン氏は議政府駅の近くにある大型書店「崇文堂(スンムンダン)」の代表だ。崇文堂の創業者(1995年)もムン議長だ。ムン氏は社団法人韓国青年会議所第59代中央会長の経歴がある。ムン議長も同団体の第34代中央会長を務めている。ムン氏は2018年6月の地方選挙の時、議政府市長選挙でアン・ビョンヨン候補の選対事務所で働いた。同年12月、民主党議政府甲地域委員会常任副委員長に就任。本格的な政治活動を開始した。政治経歴では完全に新人だ。

 有力政治家の父親のとてつもない「七光り効果」はすでに現れている。ムン氏のブックコンサートには3千人が詰め掛け、大騒ぎとなった。民主党のチョン・ソンホ議員(3回、京畿道楊州市(ヤンジュシ))は祝辞で「私は皆さんが愛するあの方との縁で政治活動を開始した」、「私の議政報告会に来た方より二倍くらい多い」と語った。ソウル市のパク・ウォンスン市長はビデオメッセージで「あの家の息子、すなわち6選国会議員のムン・ヒサン議長、その家の息子だ。これまで家庭でどれほどきちんと政治の道を学んだことだろう」と述べた。議政府市の前・現職市長や市議会議長らも出席した。

 彼が出馬せんとする父親の選挙区である京畿道議政府甲はどんな所だろうか。ムン議長は第13代総選挙で議政府から出馬したが、落選した。当時の現役議員はウリ共和党のホン・ムンジョン議員の父ホン・ウジュン元議員で、彼もやはりこの選挙で3選に挑戦し、落選した。ムン議長は第14代総選挙で初当選したが、第15代総選挙では再選に失敗した。「父親の選挙区」に出馬したホン・ムンジョン議員に敗れたのだ。しかしムン議長は第16代総選挙からは連続5回当選している。(議政府は第18代総選挙から甲区と乙区に分けられた。) 第20代総選挙では、公認から「カットオフ」されたが、代わる候補がおらず、再び戦略公認を受けて当選するという紆余曲折を経験した。この地域で地盤を固めた党内のライバルはおらず、現在も状況は特に変わらない。

ムン・ソッキュン氏のフェイスブックより//ハンギョレ新聞社

日本の世襲政治の「三バン」…地盤、看板、カバン

 このような状況は世襲政治が強固な日本で用いられる「三バン」という言葉を思い起こさせる。日本は2017年の衆議院選挙の当選者の26%が世襲議員だった。特に自民党は3分の1が家族から議員バッジを受け継いでいる。「三バン」とは、議員職の世襲に有利に作用するプレミアムのことで、組織を意味する「地盤」、家門の知名度を意味する「看板」、資金力を意味する「カバン」の3つだ。日本は政治家後援会の資金を子どもに受け継がせることができ、投票用紙に候補の名前を直接書くやり方を用いるなど、制度的にも現役や世襲政治家に有利だ。父親が死亡した場合、補欠選挙に子どもが出馬すれば、ほとんど無条件で選ばれる「弔い合戦」という文化もある。

 韓国はこのような水準の世襲政治を容認できる雰囲気ではないが、「三バン」のような七光り効果はあるということを過去の事例は見せてくれる。選挙では構図や党内の状況、選挙区の懸案事項などの様々な変数が絡み合うため、七光り効果で当選が保障されるわけではないが、他の新人たちが持てない政治資本を受け継ぐことで、有利なスタートラインに立てるということを否定することは難しい。トモア政治分析室のユン・テゴン室長は、「ムン・ヒサン議長の息子が党内選挙という手続きと形式を踏むからといって、有権者が公正だと受け取るかどうかは疑問だ」とし、「その選挙区だけの問題ではなく、他の地域にまで悪影響を及ぼす逆シナジー効果をもたらし得る」と述べた。

 民主党は17日、ムン議長の選挙区や現役議員不出馬選挙区など15カ所を戦略公認地域に定めた。ムン氏を公認から排除したのではないかという見方も出ているが、党規によって現役不出馬地域全体が戦略選挙区に指定されたことで、民主党は今後、これらの地域の一部を党内選挙地域に振り向けるかなどについてさらに論議する予定だ。ムン氏は16日、中央選挙管理委員会に議政府甲の予備候補として登録した。

イ・ジウン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/politics/assembly/924874.html韓国語原文入力:2020-01-17 19:48
訳D.K

関連記事