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富平米軍基地内の「日本陸軍造兵廠」、 歴史文化公園に生まれ変わる

登録:2019-12-20 08:35 修正:2019-12-20 11:18
韓国環境公団、原型を保存しキャンプ・マーケットの浄化作業 
仁川市、ユネスコ文化遺産への登録と平和公園の造成を推進
仁川富平米軍基地キャンプ・マーケット内の「日本陸軍造兵廠」が80年ぶりに市民のもとに戻り、歴史文化公園に生まれ変わるものと見られる//ハンギョレ新聞社

 80年ぶりに市民のもとに戻ってきた仁川市富平(ブピョン)の米軍基地キャンプ・マーケット内の「日本陸軍造兵廠」が、汚染浄化作業を経て歴史文化公園に生まれ変わるものと見られる。「造兵廠」とは武器を作る所を指す。

 韓国環境公団は、最近返還されたキャンプ・マーケット軍需リサイクル品センター(DRMO)浄化区域内の6つの施設・建物のうち、文化財庁が保存を勧告した日本陸軍造兵廠など5つを存置したまま浄化作業を行うことにしたと、19日に発表した。公団側が明らかにした存置対象施設は、日本陸軍造兵廠の鋳物工場として使われた建物と煙突、日帝が全国各地から収奪した鉄くずや真鍮の器、葉銭などを積んできた線路とプラットホームなどだ。

 富平の日本陸軍造兵廠は、日帝強占期(日本の植民地時代)の朝鮮人労働者の強制動員と民族経済供出のつらい歴史を持つ代表的施設に挙げられる。日本は1939年に富平に朝鮮半島で最も大きな軍需工場の日本陸軍造兵廠を建て始め、1941年から小銃や弾薬、砲弾など日本陸軍が戦争で使用する各種兵器を生産した。日帝が1940年代のアジア太平洋戦争後半に日本や中国などで運営した8つの造兵廠のうち、唯一残っているところだ。ここが撤去されずに原形のまま保存されたのは、日本が敗戦後に捨てて行ったものを米軍が約70年間基地として使用してきたためだ。

マンションに囲まれている米軍基地「キャンプ・マーケット」と日本陸軍造兵廠//ハンギョレ新聞社

 国防部の委託を受け、キャンプ・マーケットの土壌浄化作業を行っている韓国環境公団側は、「日本軍造兵廠など施設物の下部の土壌汚染がひどくなく、撤去や移転をせずとも、周辺土壌掘削を通じて浄化作業が可能だろう」と話している。文化財庁が保存を勧告した施設のうち、在韓米軍詰め所の建物は下部の土壌汚染がひどく、別の場所に移転して浄化作業をした後、元の位置に移される。昨年、環境部の調査でこの一帯の土壌で先進国基準の10倍を超えるダイオキシン類が検出された。

1948年当時の日本陸軍造兵廠の姿=在韓米軍出身のノルブ・フォイエ氏提供//ハンギョレ新聞社

 仁川市と富平文化院は、浄化作業が完了すれば造兵廠一帯を歴史文化公園として造成し、反戦・平和教育空間として活用する計画だ。市関係者は、「キャンプ・マーケットの周辺には、造兵廠で作った武器を保管した咸鳳山(ハムボンサン)地下洞窟、造兵廠の下請け企業労働者の宿舎である旧三菱社宅などが残っている。この一帯をユネスコ世界文化遺産に登録し、保存する案を検討中だ」と述べた。

パク・ギョンマン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/area/capital/921458.html韓国語原文入力:2019-12-20 02:31
訳H.J

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