「簡単に観光地を差し出し、何もせず利益を得ようとした先任者たちの誤った政策で、金剛山(クムガンサン)が10年間放置されている。実にもったいない。国力が弱い時に他人に依存しようとした先任者の依存政策は、非常に間違っている」。北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が金剛山観光地区に対する現地指導でこう述べたと、「労働新聞」が23日付1面に報道した内容だ。
金委員長が「非常に誤った依存政策」の当事者に挙げた「先任者たち」とは、突き詰めれば父親の金正日(キム・ジョンイル)総書記を指す。形式論理上、現代グループと金剛山観光協力事業に合意(1998年10月29日発表)した北側の主体、朝鮮アジア太平洋平和委員会の故キム・ヨンスン委員長などを指すとも言えるが、軍部の反対を退けた金正日総書記の“決断”なくして、金剛山観光は不可能だったためだ。実際、金正日総書記は、1998年10月、牛の群れを連れて訪朝した故チョン・ジュヨン現代グループ名誉会長と会談し、同年11月19日には初の観光船が金剛山に到着した。南側観光客の見慣れた温井閣の前庭には、金正日総書記の金剛山観光地区の現地指導を称える記念碑がある。
北朝鮮憲法は序文で「偉大な首領金日成(キム・イルソン)同志と偉大な領導者金正日同志」を「主体朝鮮の永遠なる首領」であり、「民族万代の恩人」と明示し、「金日成・金正日主義を国家の建設と活動の唯一の指導的指針とする」(第3条)と明らかにしている。ところが、金正恩委員長はなぜ「無誤謬先代首領」である金正日総書記が直接取り仕切った「遺訓事業」を直接非難したのだろうか。
その手掛かりがある。金正恩委員長は「党初級宣伝労働者大会の参加者たちに送った書簡」(「労働新聞」3月9日付1面)で「首領の革命活動と風貌を神秘化すれば、真実を覆い隠すことになる」と指摘した。「首領の神秘化」を批判する形を借りて、「首領無誤謬論」に変化を図ろうとする意図が読み取れる。金委員長は4月11日、最高人民会議第14期第1回会議で、金日成主席が教示した不変の党優位工業政策の「代案の事業体系」と農業政策の「青山里方法」を削除し、生産現場の自律性を高める“市場経済の要素”を導入する憲法改正を“指導”した。金委員長は、すでに祖父の教示にも時代の変化を反映し、変化を試みたわけだ。金委員長は最近、鏡城郡(キョンソングン)仲坪南新温室農場と養苗場建設現場の現地指導の際も、「10年以上前に建設した米穀協同農場村が、現在の農村文化住宅の模範にはなれるわけがない」とし、「金正日時代の農村模範」に変化を与えるよう指示した(「労働新聞」18日付1面)。
金委員長のこのような行動は、中国の改革開放の過程でトウ小平が貫いた「毛沢東指導路線の相対化」を連想させる。トウ小平は毛沢東の後継者である華国鋒との論争で、「毛主席は『功が7、過が3なら成功した人生』だと述べた。私は功が6、過が4であれば成功した人生だと思っている」とし、「真理の相対化」と改革開放を推進した。韓国政府の元高官は「『正常国家、正常指導者』を追求する金委員長の現実主義者としての面貌を示すものであり、意図が何であれ、結果的に『真理の相対化』に向かうものだ」とし、「帰趨が非常に注目される重大な変化の兆候だ」と指摘した。