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全斗煥裁判の証人「全南道庁で旋回したヘリから銃声聞こえた」

登録:2019-06-11 06:06 修正:2019-06-11 08:06
チョン・スマン元5・18遺族会長、ヘリコプター射撃当時について証言 
光州基督病院の職員「ヘリコプターが、献血ための列後尾に向かって射撃した」
今月10日、光州地裁前で全斗煥氏の死者名誉毀損裁判に出たチョン・スマン元5・18遺族会長がヘリコプターからの射撃を立証する資料を公開している//ハンギョレ新聞社

 「5月21日午後、全羅南道道庁の後ろを旋回していたヘリコプターから『バン、バン、バン』『バン、バン、バン』と数回銃声を聞いた」

 10日、全斗煥(チョン・ドゥファン)裁判の証人として出席したチョン・スマン元5・18遺族会長は法廷で、当時の状況をこのように証言した。光州(クァンジュ)地裁刑事8単独のチャン・ドンヒョク部長判事は同日、死者名誉棄損容疑で起訴された全斗煥氏の裁判で、チョン氏など6人からヘリコプター射撃関連の証言を聞いた。

 チョン氏は「1980年5月21日午後1時、全羅南道道庁前で空輸部隊が市民に向かって集団発砲した後、対峙が小康状態になったので家に帰っていた途中に経験したこと」だと述べた。さらに、「当時、錦南路(クムナムロ)の方面ではなく、瑞石路(ソソンロ)の全羅毎日(新聞社屋)近くにいたが、道庁の裏道を通って家に行く途中、遺体1体を見た。そこから50メートルほど瑞石洞(ソソクドン)金○○病院の近くまで行った時、空から『バン、バン、バン』という銃声が聞こえた。見上げると、ヘリコプターが空中で旋回していた。素早く病院の塀の木の下に隠れた」と当時を振り返った。

 チョン氏は「その後、記録を確認してみると、5月21日午後2時にここで発見された遺体はホン・インピョ氏(当時19歳)だった。死因は打撲傷による『左側前頭骨陥没複雑骨折』だった。付近に戒厳軍がいなかったことから、ヘリコプターからの射撃による死亡とみられる』と述べた。

 彼はその後30年以上にわたり収集した資料の中で、当時戒厳司令部のヘリコプター射撃命令の記録▽5月27日午前5時10分、「前科暴徒射殺2人」と書かれた第1航空旅団の状況日誌△実弾1500発を航空隊に再補給した戦闘兵科教育司令部の補給資料などを、ヘリコプターからの射撃の根拠として提出した。

 被告側のチョン・ジュギョ弁護士は反対尋問で、「1995年のソウル地検の捜査と2016年の国防部調査の際、ヘリコプターからの射撃をなぜ言わなかったのか。道庁から東明洞(トンミョンドン)の自宅まで約500メートルだが、目撃場所にはなぜ行ったのか」と質問した。チョン氏は「捜査当時、遺体を秘密裏に埋蔵したことが争点だったため、その部分について主に質問を受け、(ヘリコプターからの射撃について)供述する機会がなかった。道庁を空輸部隊が掌握したため、迂回するしかなかった」と答えた。

 当時、光州基督病院の救急室で勤務したチェ・ユンチュン氏(56)も、「日付と時間ははっきり覚えていないが、当時、病院の外の上空からヘリコプターの音が聞こえた。救急室から出てみると、低空飛行していたヘリコプター1機が献血のための列の後尾に向かって『ドドドドド』と銃を発射していた。地面に銃弾が当たり、数人の負傷者が出た」と証言した。

 チェ氏は、「なぜ今それを言うのか」というチョン弁護士の質問に対し、「以前同じことを言えば、連れていかれただろう」と答えた。

 今年3月11日の裁判に出席した全氏は、裁判部の許可を得て、この日の裁判には出席しなかった。全氏は2017年4月に出版した回顧録で、ヘリコプター射撃を証言した故チョ・ビオ神父を「聖職者という名にふさわしくない破廉恥な嘘つき」だと非難し、裁判を受けている。

アン・グァノク記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/area/honam/897290.html韓国語原文入力:2019-06-10 20:55
訳H.J

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