5・18光州(クァンジュ)民主化運動39周年、私たちは沈痛な思いで、1980年の新軍部の内乱や軍事反乱に対抗した光州市民の勇気と犠牲を振り返る。80年光州は6月抗争と平和的政権交代の動力であり、この地に民主主義を花咲かせた滋養分だ。1997年には国家記念日に指定された。しかし、誹謗と妄言は相変わらずだ。第1野党の議員が5・18有功者を「怪物集団」と罵倒し、偽有功者らが2億ウォンの補償金を受け取ったという偽りの扇動と「いつまで真相究明するのか」という皮肉も横行している。
光州抗争から38年目の昨年5月、戒厳軍による性的暴行の証言が出て、憤りを招いた。この1年間、新たな証言が洪水のように続いた。新軍部が虐殺の責任を市民軍に転嫁し、市民軍が使用したカービン小銃による死亡者を増やしたという当時の遺体検案医の初証言が出た。全斗煥(チョン・ドゥファン)は発砲命令を否定しているが、彼がヘリに乗って光州に来た後、虐殺が始まったという証言や、流血鎮圧作戦計画を「グッドアイデア」だと賞賛したという文書、政権掌握が水の泡となることを憂慮し、5月27日に光州に再進出して、流血鎮圧を行ったという米国務省の秘密文書も公開された。殺害した市民を秘密裏に埋葬したという疑惑が依然として残っている中、戒厳軍が空軍ヘリで遺体を運んだという記録も公開された。明らかにされていない疑惑がある限り、真相究明の努力を絶対に止めてはならない。権力を簒奪するために市民を虐殺した者の蛮行をすべて明らかにし、歴史に記録して反面教師にすることは、生き残った私たちの避けられない義務だ。
政界も年例行事のように5・18記念式に出席するだけではなく、真相究明に乗り出すべきだ。特に、言動不一致の態度を示してきた自由韓国党の真摯な反省を求める。与野党の合意で昨年2月、5・18民主化運動の真相究明特別法が国会本会議を通過したが、自由韓国党は調査委員の推薦を先送りしたり、資格のない委員を推薦するなど、調査委の発足を妨げている。5・18について妄言を働いた議員らに対する懲戒に決着をつけてから5・18記念式に出席せよという要求に、ファン・ギョアン代表は「第1野党代表として行くのが筋」とし、「光州市民の批判があるなら、その場で聞く」と述べた。ナ・ギョンウォン院内代表は「5・18民主化運動を最初に認めたのは自由韓国党出身の金泳三(キム・ヨンサム)大統領」だとし、「その精神を引き継いでいる」と主張した。
第1野党の道理、「金泳三精神の継承」は、衝突を助長する「光州行きの政治」よりも調査委の発足と暴言を吐いた者の懲戒に決着をつけてこそ具現されることを、自由韓国党は自覚すべきた。