本文に移動

35年ぶりに顔を現わした“覆面市民軍”…「5・18の歪曲と闘います」

登録:2015-05-19 22:38 修正:2015-05-20 07:29
イム・ソンテク氏は一部極右勢力が「北朝鮮軍特殊部隊員」と主張する写真に登場する覆面市民軍(右側)は自分だと説明した。 1980年5月25日光州市西区農城洞で外信記者が撮った写真だ=光州市提供//ハンギョレ新聞社

道庁に残り逮捕されたイム・ソンテク氏
「極烈分子」の烙印押され、拷問・実刑…
「五月市民軍」の 自負心で堪えたが
未だに「北朝鮮軍」「ガンギエイ」と誹謗
極右論客を告訴しても「無罪」の兔罪符
「5・18歪曲」に堂々と闘います

 浅い眠りから叫び声で目が覚めた。 「戒厳軍が攻めてくる」という叫び声でカービン銃を手に取った。 1980年5月27日午前5時30分、彼は市民軍指導部があった光州・錦南路(クムナムロ)の当時の全羅南道庁で逮捕された。 戒厳軍は当時17歳だった彼の背中に「極烈分子」と書き殴った。 尚武台の憲兵隊に連行され、2カ月にわたり殴打と拷問にあった。 その時の後遺症で今も全身が痛む。 軍法会議で内乱付和随行罪により懲役(1年6カ月)刑を宣告された。 5・18市民軍イム・ソンテク氏(52)は、80年10月末に刑の執行停止で釈放された。

 80年5月、当時洋服店で技能工として働いていた彼は、空輸部隊が市民を殴り、殺すのを見てじっとしていられなかった。 「亡くなった方々にも申し訳ないし、それで立ち上がって闘おうという覚悟で…」 近所の先輩後輩が乗っていた軍用トラックに乗りこんだ。 80年5月21日、錦南路で空輸部隊が集団発砲し市民数十人が命を落とした後、市民が予備軍の武器庫から銃を持ち出し武装を始めた直後であった。

 戒厳軍が進入する前の晩、市民軍指導部は隊員を集めて「家に帰る人は帰りなさい」と告げた。 彼は夜おそくまで市内を回って戒厳軍の動向を見て回り、道庁に復帰した。 「M16は自動だから(戒厳軍は)とにかく撃ちまくった。撃たれた人は声も上げずにばたっと倒れて…」

 釈放されて出てきたが、正常に仕事に就くことはできなかった。5月団体の組織室長を務め、数年間、真相糾明の闘いに参加した。 つらさを酒で紛らす生活で身体は壊れていった。「次々と具合の悪いところばかり増えていきます。両肩を手術したし、首・腰も良くありません。 神経精神科の薬を服用していますが、鬱病がぶり返したのか、このごろは人に会うことも避けています…」

 それでも5・18は彼を支える自負心だった。 「一度だけ、後悔したことがあります。兄が青瓦台(大統領府)警備隊の試験に合格したのに、身元照会で落ちたんです。 私のために落ちたわけです…。 その頃までも(私たちは)暴徒でしたから」。 80年5月、帰って来ない息子を3カ月間探し歩いて心もずたずたになってしまった老母(77)は、このごろ認知症の症状を見せている。 彼は母親を最近療養病院に入院させながら、ただただ申し訳ない思いだった。

 このごろ彼を一層憤らせているのは、インターネットなどに5・18民主化運動と北朝鮮とを連携させる主張が横行している現実だ。 一部の極右主義者は、マスクやタオルで顔を覆って銃を持った2人の市民軍の写真をキャプチャーして「北朝鮮特殊部隊出身」だと主張する。 その写真の右側の市民軍がイム氏だ。 80年5月25日、軍用ジープに乗って光州市内を巡察中に西区農城(ノンソン)洞で外信記者のカメラが捉えた写真だ。 当時イム氏ら市民軍は、戒厳軍の仕返しを恐れて一時的に顔を覆っていた。

 イム氏は写真の中で左手小指を意識的に隠している市民軍が自分だと説明した。 「仕事中にけがをして左手小指の第1関節までが切断されてしまいました。 今でも左手の指を曲げているのが習慣になっています」

 イム氏は「法で5・18が民主化運動に指定されたのに、市民軍をスパイと中傷しても無罪判決にしてしまって…。これが問題じゃないんでしょうか?」と尋ねた。 光州の市民団体が立ち上げた 5・18歴史歪曲対策委は、総合編成チャンネル(大手紙系ケーブルテレビ)で「5・18 の時に北朝鮮軍が介入した」と主張した4名と「日刊ベスト貯蔵所」(イルベ)掲示板などに5月の犠牲者の棺を「ガンギエイの宅配」と悪質なコメントを掲示した5名の計9名を、2013年6月光州地検に刑事告発した。 しかし1名だけが侮辱罪で刑事処罰を受け、残りは不起訴処分等になった。 2008年9月に極右性向の論客チ・マンウォン氏ら20人が、5・18民主化運動を誹謗する内容の文をインターネットに掲載した疑い(名誉毀損)で告訴されたが、大法院(最高裁)は2012年12月「名誉毀損に当たる」と判示しながらも、「被害者が特定されていない」という理由で無罪を宣告した原審を確定したことが、影響を及ぼしたのだ。 「民主社会のための弁護士会」光州全羅南道支部のキム・サンフン弁護士は「5・18民主化運動関連者が4000人にもなり誰の名誉毀損に当たるのかを特定できないというのは、司法部の消極的な法解釈だ」と指摘した。

イム・ソンテク氏(52・右端)が16日午後、慶北慶州市の慶州郷校で伝統方式による結婚式を挙げた息子と嫁と記念写真を撮っている=慶州/チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

「息子や嫁、未来の孫に恥ずかしくないように生きたい」

 今月16日、慶尚北道の慶州(キョンジュ)郷校で挙行された息子の結婚式に婚主として出席した彼は、息子に対してすまなく思ったと話した。 息子が4歳の時に離婚した妻が世を去った後、息子は祖母の手で育てられた。 ラグビー選手だった息子は大学卒業後下士官として軍生活をして、2011年慶州に定着した。 自動車のシートを作る会社で生産職労動者として働く息子は、慶州出身の妻(33)と出会った。 「息子にはいつも酒を飲んでデモばかりしている父親でした。 何年か前、携帯電話で『すまない』と言ったときは涙が出ました。5・18をアカと誹謗しても、黙って見ているだけの父親にはなりたくありません」

光州/チョン・デハ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/691636.html 韓国語原文入力:2015-05-18 08:05
訳A.K(2619字)

関連記事