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歴史性浮き彫りになったベトナムは北朝鮮の経済モデルであり盟友

登録:2019-02-09 06:30 修正:2019-02-09 08:54
ベトナム戦争当時、兵器と空軍戦闘機を支援 
南北と米国、中国がベトナムで戦争を繰り広げた 
4者終戦宣言めぐる論議の歴史性を新たに照明 
金委員長、ベトナム流の改革開放に格別な関心
1957年7月、平壌で会った北朝鮮の金日成主席とベトナムのホー・チ・ミン国家主席//ハンギョレ新聞社

 今月27~28日にかけて朝米首脳会談が行われるベトナムは、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長にとっては非常に特別な国だ。ベトナム流の改革開放モデルに対する金委員長の関心が高まっている上、金日成(キム・イルソン)主席時代、共に戦争をしながら結んだ両国の友好関係も、中国との関係に引けを取らないからだ。北朝鮮と中国が朝鮮戦争の盟友であるなら、北朝鮮とベトナムはベトナム戦争の盟友だ。

 北朝鮮は、ベトナム戦争の真最中の1964年から1969年まで、ホー・チ・ミン主席が率いる北ベトナムに、兵器10万挺と軍服100万着を支援し、戦闘兵力である空軍を派遣した。この頃、中国も9万挺の銃と工兵を支援した。韓国も米国の同盟国として南ベトナムを助けるため参戦しており、ベトナムで韓国と米国、中国と北朝鮮が手を組んで“もう一つの戦争”を行ったわけだ。第2回朝米首脳会談で南北や米国、中国が参加する4者終戦宣言に関する論議が行なわれるなら、ベトナム戦争のこのような歴史性が改めて浮き彫りになるものとみられる。

 北朝鮮は、ベトナム戦争を社会主義陣営と資本主義陣営の戦争と捉えた。金日成主席は1964年1月、「労働新聞」に寄稿した「民族解放の革命的旗印を高く掲げよう」で、ベトナム戦争を「全体社会主義陣営の安定とアジアと世界の平和を守るための闘争」と規定したうえで、「彼らの闘争を積極的に支援することは、崇高な国際主義的な義理であり、義務」だと強調した。

 北朝鮮は1966年9月、志願兵の派遣に公式に合意した。北朝鮮が戦闘機10機で構成された空軍部隊を優先的に支援し、1966年末から1967年初めまで支援兵を追加するという内容だった。北朝鮮はベトナム戦争に参戦した北朝鮮軍を「志願兵」と呼ぶ。中国が朝鮮戦争に加わった民解放軍を「志願軍」と呼ぶのと類似している。1966年10月、ベトナム戦争支援部隊を訪れた金日成主席は「英雄的朝鮮人民軍らしく、戦闘において誰よりも勇敢でなければならない」と激励した。

1958年11月、ベトナムを訪問した金日成主席がベトナムのホー・チ・ミン国家主席と握手を交わしている//ハンギョレ新聞社

 北朝鮮空軍が行った戦闘のうち、1967年5月20日にハノイで行なわれた空中戦が有名だ。当時、米軍戦闘機32機がハノイの上空へ飛んでくるのを捉えた北朝鮮空軍は、戦闘機8機を出撃させた。北朝鮮空軍はこの空中戦で12機の米軍戦闘機を撃墜する戦果を挙げたという。ベトナム戦争で亡くなった北朝鮮の志願兵ら(の遺骨)は、2002年に北朝鮮に引き渡され、「朝鮮人民軍英雄烈士墓」に埋葬された。外国企業の投資が集まるハノイ近隣の北江省には、彼らを称える墓碑が残っている。

 北朝鮮とベトナムは、戦争以前から社会主義兄弟国として友好関係を保ってきた。ホー・チ・ミン主席は1950年1月14日、北朝鮮との外交関係の樹立を望むという声明を発表した。同声明は当時、リ・ジュヨン駐中国北朝鮮大使を通じて、パク・ホンヨン外務相に伝えられた。北朝鮮が31日、外交関係を樹立するという内閣の決定をベトナムに通知したことで、両国は正式に国交を樹立した。北朝鮮は同年8月、ベトナムの反フランス闘争を支持しており、ベトナムは1952年7月に「朝鮮戦争記念大会」を開き、朝鮮半島における外国軍の撤退を決議した。

 北朝鮮とベトナムの友好関係は、1957年7月のホー・チ・ミン主席の訪朝と、1958年11月の金日成主席のベトナム訪問でピークを迎えた。金日成主席を迎えたホー・チ・ミン主席は「私は我が社会主義建設で朝鮮の兄弟たちと競争することを提案する。競争はベトナム人民と朝鮮人民の団結を意味する」と強調した。金日成(キム・イルソン)主席は、ベトナムとの関係を革命的義理、同志的友誼、国際主義の発現と呼び、特別な愛情を表した。

 しかし、北朝鮮とベトナムの革命的かつ同志的な関係にも危機はあった。1978年12月、ベトナムがカンボジアを侵攻したことに対し、北朝鮮は「武力侵攻は国際法違反であるとともに社会主義に対する裏切り」だと非難した。さらに、平壌(ピョンヤン)とハノイから大使たちが撤退したことで、両国の関係は急速に悪化した。北朝鮮とベトナムは1984年に大使関係を復元したが、1992年にベトナムが韓国と国交を樹立したことで、再び疎遠になった。ベトナムが改革開放路線を採択し、1995年に米国と国交を正常化したことで、友好関係も形式を維持する水準にとどまった。しかし、ノン・ドク・マイン書記長が2007年、ホー・チ・ミン主席以来初めて訪朝し、金正日(キム・ジョンイル)総書記と面会したことで、関係回復の転機を迎える。金正日総書記は当時、空港に直接出迎え、破格の迎接を行った。ベトナムはその後、北朝鮮の相次ぐ核実験とミサイル発射に対し、国際的な制裁に参加したが、一貫して対話による核問題解決を支持した。

 金正恩国務委員長が政権を取ってから、両国の関係はいっそう近くなった。金委員長が経済集中路線を選択する際、ベトナム流の改革開放モデルを手本にしたという分析もあった。ヤン・ムンス北韓大学院大学教授は昨年11月のハンギョレ-釜山国際シンポジウムで、「金委員長が4・27板門店南北首脳会談で、『ベトナムモデル』で進みたいと言ったという」とし、「共産党が改革開放を主導するベトナムモデルは、体制維持と経済発展という二兎を得ようとする金委員長が好むモデル」だと分析した。昨年11月、金日成主席のベトナム訪問60周年に合わせ、リ・ヨンホ外務相がベトナムを公式訪問したことも、同じ脈絡で注目された。金委員長は2015年、創建85周年を迎えるベトナム共産党に送ったお祝いのメッセージで、「われわれ両党、両国人民の間の伝統的な親善協力関係が、社会主義偉業の勝利に向けた道でさらに強化、発展すると確信する」と述べた。

ユ・ガンムン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/politics/diplomacy/881219.html韓国語原文入力:2019-02-07 19:47
訳H.J

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