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三菱1次訴訟を賠償判決に導いたキム・ジュンゴンさんが死去

登録:2019-01-26 06:34 修正:2019-01-26 08:26
謝罪と賠償を受けられず、25日に蔚山で、老衰で亡くなる 
1988年から30年間、勤労挺身隊闘争を繰り広げてきた証人
勤労挺身隊被害者遺族の故キム・ジュンゴン氏=勤労挺身隊ハルモニと行動を共にする市民の会提供//ハンギョレ新聞社

 日本の三菱から勤労挺身隊の賠償判決を受けた被害者遺族のキム・ジュンゴンさん(96)さんが、日本側の謝罪を受けられないまま、25日蔚山(ウルサン)で他界した。キムさんは昨年11月29日、最高裁で「三菱は被害者たちに賠償する責任がある」という判決を引き出した第1次訴訟の原告だった。彼は家族のいる蔚山で生活し、老衰で亡くなった。遺体安置所は蔚山グッドモーニング病院の葬儀場に設けられた。告別式は27日午前で、埋葬地は蔚山ハヌル公園だ。(062)365-0815.

 日本からも「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」の高橋信共同代表が弔問する予定だ。「勤労挺身隊のハルモニ(おばあさん)と行動を共にする市民の会」のアン・ヨンスク共同代表は「2週間前にも、謝罪と賠償を受けるまでは絶対死なないと、力強く語っていたのに、突然亡くなられて残念だ」と話した。

 キムさんは1944年、名古屋三菱航空機製作所に強制動員された故キム・スンレさん(1930年生まれ)の兄で、故キム・ボクレさん(1929年生まれ)の夫だ。妹のキム・スンレさんは強制労働をしていたところ、1944年12月7日に発生した東南海地震の際、建物の下敷きになって死亡した。一緒に動員されたキム・ボクレさんは解放後、「一人で生き残って申し訳ない」として、友人の家を訪れた縁で、キムさんと結婚した。

 キム・ジュンゴンさんは1988年、東南海地震犠牲者の追悼碑の除幕を進める日本人に会い、名古屋へ行って、勤労挺身隊問題を知らせる活動の先頭に立った。1999年から日本で三菱の責任を問う訴訟を進め、裁判が進められていた2001年2月、妻のキム・ボクレさんに先立たれる苦しみを経験した。しかし、キムさんは諦めることなく、数十回も日本を行き来しながら、流ちょうな日本語で妹と妻の名誉を取り戻すための訴訟を起こした。以後、2012年に韓国で三菱を相手取った第1次訴訟に原告として参加し、6年ぶりに被害者1人当たり1億ウォン前後の賠償を命じる最高裁判所の判決を引き出した。しかし、三菱は依然として謝罪と賠償を回避している。

 日本では2008年、彼のストーリーを取り上げた『人間の砦-元朝鮮女子勤労挺身隊・ある遺族との交流』が出版された。同書には、勤労挺身隊遺族のキムさんの名誉回復闘争と、彼を支援する日本市民団体の活動が盛り込まれている。韓国でも近く翻訳本が出版される予定だ。

アン・グァンオク記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/society/area/879917.html韓国語原文入力:2019-01-25 17:44
訳H.J

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