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強制動員訴訟の半分は被告が三菱…代表的戦犯企業の歴史

登録:2018-11-29 23:11 修正:2018-11-30 07:45
強制動員訴訟15件中7件は相手が三菱 
日本国内への動員のうち三菱関連は約10万人と推定 
重工業は戦後も代表的軍需企業の地位を維持 
中国人被害者には謝罪、韓国人には拒否
旧三菱鉱業が朝鮮人を強制動員した長崎の端島(別名、軍艦島)=資料写真//ハンギョレ新聞社

 29日、強制動員被害者に賠償せよとの判決を受けた日本の三菱は、“戦犯企業”の象徴だが、日本政府の態度に歩調をそろえ責任を否認し続けている。

 韓国の裁判所で判決が下されたり、または裁判が進行中の強制動員訴訟15件のうち、7件は三菱重工業が相手だ。三菱相手の裁判が多い理由は、代表的な軍需企業で朝鮮人強制動員にも先頭に立ったためだ。日本が1938年の国家総動員法制定後、強制動員した朝鮮人は70万人以上と推定される。日本の歴史学者、竹内康人氏は、三菱重工業、三菱鉱業、三菱の工場建設に動員された朝鮮人を約10万人と推定する。

 ここには侵略戦争と共に代表的財閥に成長した企業史がある。三菱は岩崎弥太郎が1870年に作った海運会社がルーツだ。1873年から三菱商会と名前を変え、翌年台湾を侵攻、1875年の江華島(カンファド)事件の時に日本軍の兵員輸送を一部引き受けた。1880年代には日本政府が運営していた長崎造船所を買収し、九州で炭鉱経営を始めた。政界および軍首脳部との関係を利用して、会社を拡張し三井・住友と共に3大財閥に成長した。三菱重工業は、太平洋戦争の主力戦闘機“ゼロ戦”を作り、排水量6万5000トンの巨大戦艦“武蔵”も建造した。

2日、日本の市民団体「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」の会員たちが東京港区の三菱重工業社屋前で「三菱重工業は強制動員被害者に謝罪と賠償をせよ」というスローガンを叫んでいる=資料写真//ハンギョレ新聞社

 三菱財閥の成長の陰には、朝鮮人被害者の涙がある。「軍艦島」としても知られる長崎県端島炭鉱は三菱が経営した。ここで朝鮮人50人余りが命を失った。今回最高裁(大法院)の賠償判決が下された三菱重工業の広島工場に強制動員された人々は、原子爆弾の被爆被害まで受けた。被爆当時、朝鮮人1000人あまりがいたと推定される。

 今回、最高裁が賠償判決を下した2件のうち、三菱重工業名古屋航空機製作所で働いた原告たちは、動員当時14~15歳の少女だった。三菱勤労挺身隊関連訴訟は計3件だが、原告11人中8人が生存している。遺族が代わりに訴訟を進めている3人は、1944年12月の東南海大地震の時に亡くなった。新日鉄住金事件の原告4人のうち3人が死亡して、今は94歳の被害者だけが残っているのとは対照的だ。勤労挺身隊被害者が、動員当時にそれだけ幼かったためだ。「日帝強制占領下強制動員被害真相究明委員会」が2008年に出した資料によれば、朝鮮人男性徴用者たちは少女たちを見て「まだ子どもなのに」と言って涙を流したという。

 米国は太平洋戦争の後、侵略戦争の背後にいた財閥の解体に出た。三菱重工業は3つに、三菱商会は100余りに分かれた。しかし、三菱系列は1952年のサンフランシスコ講和条約発効以後、段階的に再結合した。三菱重工業は、軍需産業の核心に再浮上した。三菱グループは、現在系列会社626社、職員約57万人に達する。三菱マテリアル(旧三菱鉱業)は、中国人強制動員被害者には謝罪し財団を作り和解しようと努力している。しかし韓国人には謝罪と補償を拒否している。

東京/チョ・ギウォン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/872352.html韓国語原文入力:2018-11-29 21:09
訳J.S

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