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最高裁「維新体制当時の戒厳布告は違憲・違法のため無効」

登録:2018-12-21 10:19 修正:2018-12-21 12:10
賭博による集会禁止戒厳違反懲役刑の再審事件 
戒厳布告は「国民基本権を侵害した違憲・違法で無効」  
「当時の戒厳布告は維新の抵抗を封鎖するためのもの 
戒厳法上「軍事上必要な時」ではないかった」
最高裁判所(大法院)の全景=ハンギョレ資料写真//ハンギョレ新聞社

 1972年、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の維新体制発足当時、全国に宣布された非常戒厳令によって下された戒厳布告は違憲・違法であり無効だという最高裁判所(大法院)の判断が出た。

 最高裁3部(主審=チョ・ヒデ最高裁判事)は、戒厳布告に違反して不法集会を行った疑いと、被害者を脅迫した疑いで軍法会議にかけられ

懲役8月が確定されたH氏(76)の再審上告審で、戒厳法違反には無罪を、脅迫した疑いに対しては宣告猶予を言い渡した原審を確定したと21日、明らかにした。

 最高裁は「1972年10月17日に非常戒厳令宣布とともに公布された戒厳布告は、憲法と法律で定めた要件を満たさないまま発令された。その内容も、令状主義と罪刑法定主義の明確性の原則に反し、表現の自由と学問の自由、大学の自律性など、憲法に保障された国民の基本権を侵害するものだ。この戒厳布告は、解除されたり失効する前から旧憲法と現行憲法、旧戒厳法に反し、違憲であり違法であるため無効」と判断した。最高裁は「裁判の前提となった戒厳布告が無効であるため、戒厳法違反の公訴事実は『犯罪とならない時』に該当し無罪」だと明らかにした。

 最高裁は、朴正煕維新体制を作ろうとした非常戒厳令の性格も明確に規定した。裁判部は「当時、戒厳布告は既存の憲政秩序を中断させ、維新体制に移行するためにそれに対する抵抗を事前に封鎖するためであることは明らかだ。また、当時の国内外の政治状況や社会状況が戒厳法によって戒厳の要件として定めた『軍事上必要な時』に該当するということはできない」と明らかにした。

 1972年10月17日に全国に非常戒厳令が宣布され、この日、戒厳司令官名義で政治的目的の集会・デモを一切禁止し、政治活動の目的ではない室内外集会も許可を受けなければならないという内容の戒厳布告1号が発令された。H氏は同年11月5日午後、自宅で知り合いと賭博をし、戒厳令布告違反で起訴された。H氏はこれに先立ち、1970年3月、不倫の事実を夫に暴露すると言って一緒に踊った被害者を脅迫した疑いも持たれた。

 H氏は軍法会議を経て、1973年7月に最高裁判所で懲役8月が確定された。H氏は2013年に再審を請求し、2015年に戒厳法違反の容疑に対して再審開始の決定を受けた。

 再審を担当した昌原(チャンウォン)地裁は、H氏の控訴事実のうち、戒厳法違反については「違憲で無効な法令を適用した」という理由で無罪を言い渡した。しかし、裁判部は「脅迫の容疑は再審査事由と認められず、再審裁判所は本来判決の有罪を認めるかどうかは再び審理できず、量刑に必要な範囲に限り審理できる」とし、判決猶予を言い渡した。

 最高裁は原審のこのような判断に誤りがないとして、そのまま受け入れた。最高裁はまた「戒厳布告は『命令』に該当するが、憲法の『命令・規則・処分に対する違憲・違法審査権』は裁判所にある」と明らかにした。

ヨ・ヒョンホ先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/875308.html韓国語原文入力:2018-12-21 07:58
訳M.C

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